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怒ること / じぶんを磨くというのは

みずえさんがくれた山盛りのタンカン
近しいひとたちに分け分けして
じぶんでも1つたいらげて
おばあちゃんとおじいちゃんにもあげて
数もぴったり、いい気持ちで食べ終わった

それは「調和」のとれた出来事だった

自然がもたらした恵み
それを分かち合うこと

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今日はすごく腹が立って
わなわなと震えて、カーッと頭に血が上り

そういえば怒るというのはこういうことだったと
そんなことを思った

無意味にぶつかることには意味がないけど
怒ること自体は悪くないなと思った

なぜならば

「わたしはわたしである」

ということと

「絶対にそれを諦めない」

ということ

くわえて

「負けてたまるか」

という決意がさらに磨かれるからである

わたしはすごくは強くないけれど
そんなに弱くない

そして、そんなことには負けない

誰かの考えや、一見常識のように見えること
それらに無思考によりかかり
選択の基準を誰かに依存すること

わたしは絶対に選ばない

そのままで、今思い描いていることのために良い部品となり、今思い描いていることを現実にするために時間を使い

それらの工程すべてを余すことなく味わい、すべての行為をたのしみ尽くし、怒りも嘆きも含めてどんな感情もじぶんのものとして受け入れて進む

同時に生を享受し、しっかりとそれを喜びながら生きる

それが両立している状態が、わたしの暮らしにおける「調和」が取れているということだと思う

それは冒頭のタンカンにまつわる一通りと、全くぴったりと重なり

それと似たような構図が社会のなかでも

ーー

誰かの行為や考えを頭ごなしに、または無思考に批判できるほどわたしは偉くない

そんな偉さは死ぬまで身に付かない

「お前そんなに偉いのか」

というずっと前に言われた叔父の言葉が正気に戻してくれた

調和

まだ見えてこない、が、かけらは掴めている

怒りは原動力にはなれど手法にはならない
誰かを裁くような偉さは死ぬまで身に付かない

そんなものはいらない

もっと現実を通してじぶんを磨かなければ!と思う

それこそが、みずえさんとよくよく話す「たのしむ」という概念そのもののような気がしている

たのしむは奥が深い
今日のような怒りもそこには含まれる

たのしむは、奥が深い

ーー

すべてのひとが、そのひとであれるなら
生まれてくる子どもらが、その尊厳を守られながら成長できたなら

世の中が良くなるスピードはずっとはやくなる

それも調和のひとつ

ひとつずつ目の前のことを通して

ひとつずつ、ひとつずつ

ゆっくりコツコツ

積み重ねる

と思った日だった

こんな気持ちに負けたりしないぞ
って強く思う日だった

なんで?と問い続けるのをやめない目的は、意固地になることでも、他者を征服することでもない

ただよりよく生きるため

でくのぼう のまま死なないため

なのだと思う