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770 / ひとを好きになることは

味わい深いテーマなんだろうと思う、3泊4日、まるで仕事のことは考えずに過ごしながら、「なにがしたい?」「なにが食べたい?」と聞かれまた叶えてもらいながら、ずっと静かにじぶんの心を眺めていた。

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ひとを好きになることはなんて苦しくて嫌なことなんだろうと思ったのは2018年だった、よく覚えている。

感覚的にお互いを理解したひとであっても、対話ができなければ誤解を深める。

畑づくりの最初に大きな石を取り除いていくように、じぶんのなかにある思い込みや観念を見つめ取り除いていく作業には忍耐が必要で、さらにそれを相手との言語の距離や違いを微細に感じながら翻訳していく作業には根気がいる。

それを放棄してしまえば途端に大きなエネルギーであった好きという感情がお互いをコントロールしたいという醜い欲求へと変貌し、結果として深く深く傷つけ合ってしまう。

どんなふうに好きだと思ったひとを大切に、そして真っ直ぐに、素直に関係を深めていけるんだろうと悩んだのは2019年だった。

目を合わせるよりもずっと前に、その日がはじまる前に、今日がその日であることを朝起きたときには感じていた。はじめての感覚だった。

空間のなかすぐにわかった、目を合わせたときにそれは確かなものに変わった。

感覚は欲しいという、そのひとと時間と空間を共有することで得られるものや生み出せるものがたくさんあることを、わたしよりも先に身体が知覚する。

だけれども、現在の時間軸のなか現行する社会制度のなか、どうやってその感覚と折り合いをつけるべきなのか、苦しんで苦しんで苦しみ抜いた一年だった。

とはいえ、考えられる全ての影響を浮かべ、ひとつひとつに答えを下していく過程は、そのままたくさんの思い込みや隠れていた恐怖と対峙するプロセスでもあった。

そんな時間を過ごしながら、2020はまったく違う年になった。じぶんの枠を超えて相手とコミュニケーションを重ねる術を得て、コントロールの欲求に打ち勝ち、ほんとうの意味での自由をじぶんと相手とで共有しながら、じぶんの気持ちを眺めるようになった。

この気持ちは誰のものでもない、そしてこの気持ちは本質的には誰も傷つけない。

それがわかってから、ずっとずっと深く呼吸ができるようになり、周囲のひとにより多くのものを共有できるようになった。

じぶんの範疇のなかに入ってくる存在は多くはない。

ただ、単一である場合が多い今の社会のなかで、もしくは単一である方が管理がしやすいという点でそうなった制度に感覚や思考を委ねているひとが多いなかで、じぶんはそういうタイプではないようだというのもよくわかった。

そして、それは間違いではない。違いがあることは社会を持続させるためには不可欠であり、たまたまわたしはそれをよくわかるようなポジションに配置されただけのこと。

今わかるのは、今のじぶんをしっかり感じていれば大きく間違うことはないということ、ひとを好きになることは枠を超えていくために、より現実を創造する力を強めるために、必要なエネルギーだということ。

今年は今年で今までとまた違う学びがあるのだと思う。しっかりぜんぶを体験しながら進めるといい。

生きるということ 新装版

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