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「匂わせ」とは / いつかやめようSNS

テーブルの上に置いた相手のコップなどが見える写真を投稿することを「匂わせ」というと知った。

じゃあ、あれもこれも匂わせてしまったなとじぶんの投稿を振り返る。

でも、みんながみんな「誰かといたことをわかってほしい」と匂わせ投稿をするんだろかと、まあひとつのネタみたいなもので真剣に考えることでもないかと考え事をストップする。

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わたしはご馳走がうわぁ!とテーブルの上に並んでいるのを見るのが大好きで、美味しそうなものはなんでも頼みたい癖がある。

テーブルの上にたくさんのご飯が並ぶのは、幸せそのもの。

そして、もうひとつ大切なのは「誰と食べたか」なのだ。

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ひとりで食べるそれはただ美味しかったそれ、誰かとともに時間と空間を共有して食べたそれは特別なそれになる。

だから「誰かといたんだよ」と誰かに伝えたくてお皿が並ぶのを撮るのではなくて、「こんなに幸せなことがあったよ!」と記録して誰かに伝えたくて投稿してしまう。

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ハートがぽぽぽぽぽんとつくのもたのしいし、一緒に行きたいと誘われるのも嬉しい。

それでも「投稿してしまう」と書くので、いつかは投稿してしまわなくても過ごせるじぶんになれるといいなと思っているのだと思う。

あと3年くらいで辞められるといい、SNS。

理由はシンプルで、アルゴリズムが不快だからだ。どんどんと技術が進化して、頻度やグループがオンライン上に操作を伴わずに顕になるのが気持ち悪い。

人間関係の構築で大切なのは手法ではないのに、外堀を埋められていくのは本望ではない。

ターゲティング型の広告は、調べ物で検索をつかう身なのと、年齢を適当に登録したせいで、ひとつのネタのようになっているので困ってはいない。

あとはフィードを「世間」と捉えてしまいがちなのも嫌。

でも今はまだ、帰ったあとに「こんなことがあったよ」と聞いて欲しくなる気持ちのまま、アプリに甘えていたい。

少しずつ、必要がなくなっていくはずだから。

「匂わせ」のことは、気にしないことにした。こんな気持ちで、その写真を撮って大事にしてるのかと、じぶんのことをまたひとつわかって嬉しい気持ち。