NOW 500→1000

能動的な行為

こんなに幸せなことあるだろかと、テーブルを囲んでいる仲間のひとたちを、少し身体を後ろに倒しながらゆっくりと感じる。

ひとりひとりのひとをよく知っていると感じる、みんなと出会ったのは人生がよく進んでからなのに。

知らないこともたくさんあるとわかっているのに、わたしはよく知っていると感じ、相手を深いところで信頼していることを感じる。

こんなに幸せなことがあるだろうかと思いながら飲み物を飲み干した。

同じものを分け合って食べたり、おいしいねと感想をシェアしたり、隣で膝や肘をぶつけ合いながら乾杯を繰り返したり。

わたしたちはそうやってどんどん仲良くなる。

一緒にテーブルを囲んだ数だけ、心をひらいて会話を重ねた分だけ、気持ちを込めて名前を呼び合った分だけ。

ひとを信じたり、ひとを愛することは、すべて能動的なものだと思う。

信じると決めて信じ、愛すると決めて愛する。

それは相手の行動に左右されない。

ただ変わらずに相手の存在をじぶんのなかに受け入れ続ける。

それが能動的にひとを信じ愛することなのだと思う。

待つこともそれに似ていると感じる。

相手が口を開くのを待つこと、相手が言葉を終えるのを待つこと。待つのも能動的な行為だ。

受けとることと与えること。

境目が曖昧で入れ替わりも激しいふたつの行為。バランスをとりながらじぶんと相手との間にリズムをつくっていく。

こんなに幸せなことあるかなと、やっぱり考えながらみんなとげらげら笑ってアイスを食べた。

わたしの大切な、みんなのおかげである25の今しか過ごせない時間。今出会えたことに意味があると、今思ってしまうことに意味があると、そしてすべてに意味などないと思い続けて、年を重ねていく。

幸せな夜の数の分だけ、浸ってしまう朝が来て、いただいた愛情をお仕事のなかで循環させる。

f:id:pidakaparuna:20201006121900j:image

大丈夫、大丈夫とじぶんに言いながら。

すべての出会いは完璧で最善。

離れゆく関係もまた、同じように。