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「愛されている」と「愛している」の定義

「〇〇のひとから、愛されたいの?」

と尋ねられ、〇〇のなかに入る言葉よりも、じぶんのなかに「愛される」ことへの定義がないことにびっくりして固まってしまった。

その場にいたひとは「自分に関心を寄せてくれる」「なにをしてるか聞いてくれる」ということが愛されるの中身であると話してくれた。

聞きながら「はて、愛されるとは」と身体の細胞がウキウキしながら考え事を走らせはじめたのを感じる。

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初めて生で見た婚姻届と離婚届。本当に公的な契約なんだなと概念ではなく制度のほうの側面をリアルに理解する。

愛されている とは?

読んでくださってるひとはどう考えるんでしょうか知りたい。あなたにとってはなんですか。

そこには行動がはいるのか、状態がはいるのか、もしくは関係性?

「まずは顔から入るよね」と笑う尊敬している先輩のセリフに笑いながら、じぶんのなかに答えを探していく。

ちなみに、〇〇のなかに入るのは「複数の人から」という言葉だったんだけれども「それに対するニーズはじぶんのなかにはないです」というのがわたしの答えでした。

そもそも「愛されたい」ニーズが、、、。

状態なのか、行動なのか、関係性なのか

たとえば「愛される」という定義が状態であるのなら「気兼ねなくいつでも連絡がとれる」だとか「気にかけてくれていることが態度から読み取れる」だとかになるんだろうか。

はたまた、行動でいえば「プレゼントをくれる」「喜ばせようとしてくれる」とかになるのかな。

関係性でいったら「スキンシップがとれる」「他の人よりもホッとできる信頼感がある」とか?

ぜんぶとっても嬉しいけど、それが愛されることの中身かというと、全然しっくりこない。

愛されたさ がない

おそらく、これまでのわたしにとって愛されるというのはあんまり優先度が高くなかったんだと思う。(それは当たり前に愛されていたからともいえるんだろうけど)

たとえば、わたしはその場にいたひとがいた「関心を寄せてくれるか」にピンとこない「最近どう?」と聞かれたら、むしろ答えに困る。

ニュースやサプライズをひとに伝えてリアクションを見るのが好きなだけで、じぶんのことを伝えるのはすごく苦手というか、欲求があまりない。

言語化をたくさんするのも誰かにわかってほしいからではなく、じぶんのことをわかりたいという欲求が強い。

他者から何が与えられるかよりも、他者から与えられた刺激によってじぶんがどうなったかに興味があるどこまでも自己中心的な生き物なんだと思う、かっこ悪いね。

基本的にはひとりで生きられる

さっきまで本屋さんにいたんだけど、そこでパートナーが本を選んでるのにずっとくっついているひとを見て「こういうひともいるのか」と驚いた。

友達にも恋人にもそういうタイプのひとはいない。集中してしまって時間を忘れたわたしを「そろそろ行こう」と呼んでくれるひとばかり好きになってきた。

連絡を返さなくても怒られたことなんてないし、突然予定を変更しても尊重してもらえることが多かった。

もちろんわたしも相手に対してそうする。

、、、!!

「執着」ではなく「自由」を

わたしにとっての「愛されている」とは、「わたしがわたしであることを尊重し、そのうえで喜びや悲しみといった日々の彩りをお互いに味わう、どんな状態でもただ隣にいる、味方として存在している」ことだった。

そしてそれはそのまま、わたしにとっての「愛している」と同じなのだ。

すごい、、大発見だ。

「愛している」は何も求めない

(愛しているから)浮気しないで!

(愛しているから)連絡をちゃんとして!

(愛しているから)そばにいて!

というのは、めちゃくちゃ勝手だなと思う。

愛しているのと行動の規制はなんの関係もないし、誰かの行動を制限できる権力なんて誰も持ち得ない。

今はそんな価値観のひとは周りに存在しないので、とても居心地がいい。

愛しているってほんとうにまっさらで、区切り目もなく、物理的にそばにいられなかったとしても隣にいるかのように感じることができるいい状態だ。

「あなたがいないと寂しく感じる」というのは、じぶんの状態の説明なので、そこにもしコントロールの意図が潜んでいない場合は「愛している」のひとつの表現になる。

「あなたが他の人と親しげにするとやるせない気持ちになる」というのも、コントロールの意図さえ挟まっていなければ「愛している」のメッセージだ。

それは相手もコントロールしない選択をしているひとであれば、きちんと受け取ってもらえる言葉だと思う。

ひとは変えられない

とはいえ、結局ほんとうのことは全部目の前にある。

会いたいと思っても会えないのなら会えないことが答えで、声が聞きたいと思っても聞けないのなら聞けないことが答え。

浮気しないで!と思うのに浮気を知ってしまうのならそれが答えで、連絡して!と思うのに連絡してくれないのならそれが答え。

大切なのは答えに対してどんな行動を選ぶかだけだ。

じぶんはどう感じたのか?

なぜ感情が波立っているのか?

どんなスタンスを選ぶのか?

どう行動するか?

ひとつひとつ決めていくだけ。

じぶんの欲求が満たされないことを素直に認め、どう対処するかを決める。

そうやって行動を重ねていると、じぶんのご機嫌をだんだんじぶんでとれるようになるし、「誰かを暴力的に従わせて結局は寂しくなる」なんて無意味な状態にも陥らなくなる。

恋人とのコミュニケーションに限らず、親子でもそう、友人でも、職場でもそう。

常識なんてあってないようなもの。

そんな架空のルールで生きづらさなんて感じなくていいはず、、でしょう。

共依存でも幸せにはなれる

たぶんだけど、わたしのルールは完璧にひとへの依存度をさげるため、つまりじぶんを守るためのルールになっている。

こんなルールなく、感情をぶつけ合いながらもともに暮らしていくことだって選べる。

「あなたはわたしの〇〇なんだから、〇〇してくれて当たり前でしょう!」と要求することも、それに従ってもらうこともできる。

それはそれできっと幸せだし、周りから見ても「幸せそう」に見えると思う。

でも、わたしはそれでは幸せになれない。

その要求の匂いを感じた時点で逃げ出してしまう。

つまり選べないのだ。選べるひともいるんだと思うし、それは否定してはいけないことだ。

じぶんで決めて、愛し愛される日々

誰か がいなくなるタイミングなんて、じぶんでは決められない。ならば、まずはひとりで生きられるようになろうという考え方のほうが安心できる。

それでも喪失はやってくるし、それはとても苦しいけれど、乗り越えられたものはどれも「わたしはわたしとして愛しきれた」「わたしはわたしとして十分に愛された」と思えたこと。

そして、胸をまだ刺すようにのこっている悲しみは「伝えきれなかった」「受け取りきれなかった」ことによるもの。

ゆっくりと癒しながら進化していく、過去からの尊い贈り物だと思っている。

未来

暴力的なコントロールをお互いにするよりも「なぜ?」とお互いの言葉をすり合わせながらコミュニケーションを重ねていくほうがずっと味わい深い。

だってもう大人になってしまった。

暴力的なコミュニケーションをとるひとに身体を触れられるのは苦痛でしかないのもあるよね。

じぶんの欲求だけをぶつけるコミュニケーションをしているひとは身体のなかにスペースがないんだろうとも思う。

身体のうちに宇宙を持つひとが好き。そういうひととの触れ合いはとても気持ちがいい。

もし、この先で長く人生をともにできるひとが現れるのなら、そのひとにも聞いてみたい。

あなたにとって愛されるとは?

あなたにとって愛しているとは?

たのしみだなぁ。

愛するということ

愛するということ

 

愛 について思考を深めるのにとてもいいのでぜひ。

 

ーー

書き終わって思ったけど、あのままみんなともっとちゃんと話してたら、たぶんもっとちゃんとした答えまで聞けたんだと😂

関心のくだりはあくまでそれぞれのニーズの入り口で、もしかしたらみんな掘り下げたら似たような答えに行き着くのかもしれない😝 

例として壁にして考えるきっかけに使っちゃってごめんねと思った🙇‍♀️🙇‍♀️