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「愛情」を使うのをやめてみる

8月、大きかった学びは「関心」だった。

久しぶりに会えたひとの姿や、お店に立ったときに起きた出来事、そして送られてきた宅急便いくつかきっかけはあったけれど、それらを通して理解したのは「関心」にまつわることだった。

愛情という表現はものすごくざっくりとしていて、意味やまつわる事柄がなかなかに分厚い。

受信する側と発信する側に与えられる社会的な役割によって解釈のされ方や名前も変わる。

たとえば親の役割と子の役割であれば、親として子を愛し、子として親に愛されることが起きる。

(自発的に起きるものもあれば、外堀を埋められて起きることもある)

(社会的に求められた役割を演じることは「それを果たせるじぶん」による快感はあるけど、内側から湧き上がっていない分、少しだけ歪みがある)

(でもある意味で優しい嘘だったりするから、時期として必要なものもあるよね)

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父から届いた宅急便。一緒にいられた時間は短くても、ぎゅっと詰まったものに父らしい愛情を感じたよ。

愛情という言葉はそういう点で使うのに注意深さが求められる。ひとによって「社会的な役割」に対する責任感や責任を果たすことで満たされる快感の強度も違う。

感覚や欲求はそのひとらしさを形作るとても大切なもの。敏感な部分と鈍感な部分、強烈なものと微弱なものというようにグラデーションが微細に存在し「これが普通」なんてものは世の中にはないのだと思う。

関心と注目

お店のなかや、道を歩いているときにときどき子どもが駄々をこねる場面を見かける。癇癪を起こしてみたり、泣いてみたり、一生懸命にアピールをする。

多くの場合は「注目」を求めて行われる行動で、そこをしっかりと見てコミュニケーションを目線を合わせて行うとスムーズに解消される。

大人も似たようなもの。なぜか繰り返してしまうミスや、不機嫌をわざわざ滲ませること、もしくは必要以上にじぶんの能力をアピールしたり、反対に萎縮をしてみせるパターンもある。

注目をもらえない、関心を寄せてもらえないと「拗ねる」、子どもがぷくーっと頬をふくらませるそれはまだ可愛げがあるけれど、大人のそれは厄介で、相手側は理解が及ばずに関係が破綻してしまう結果を招く場合も。

愛着障害との関係

2020年になって愛着障害の本がたくさん世の中に出るようになった。「毒親」系の本のブームのあと、他責ではなくじぶんの内側に理由を求め改善を試みるひとが増えたからではないかと考えている。

愛着障害がない状態は、ある一定の年齢までに身体的、精神的に十分とされるラインまでコミュニケーションをしっかりとり、十分な「関心」「注目」を寄せてもらうと安全基地と呼ばれるものが構築されることでつくられる。

安心して他者と関係をつくっていくことができるようになったり物事に挑戦することができる土台があるかどうかということ。

しかし、よほど成熟しきった社会でもない限り「なんの問題もない家庭」など存在するはずがなく、そもそも家の内側にケアを閉じ込めている構造では、責任にまつわる快感の濃度、他者を慈しむ余裕のあるなしに個体差がある限り、または「これが普通だ」という世の中の枠がはやく崩壊しない限り、なかなか愛着障害そのものがなくなることはありえない。

あくまで大切なのはじぶんのコミュニケーションの癖を知り、それと向き合いながら毎日を積み重ね、自由に感じたり考えたりすることを他者と分かち合いながら生きていくことをたのしむことだ。

欲しいものが何か

じぶんが欲しいものが明確になると、そしてそれを今社会にある「一般」に委ねずに表現することができると、なかなか不幸になるのがむずかしい。

幸せかそうではないかを決めるのは周りではなくそのひと自身なので、あくまで「じぶんがわかっているか」が重要で、そのために必要な行動を考えられる余裕をつくることも大切な気がする。

子どもが求めているのはふわふわしている愛情ではなく、質感を伴うコミュニケーションによって与えられる関心や注目であり、仕事の場で起きるいろいろなことは称賛や褒美や叱咤激励が求められているのではなく、適切なフィードバックがそのひとに届く仕組みだったりするのだと思う。

パートナーシップでも同じで、じぶんが何が欲しいのかを今ある言葉ではなく探求していくと、たいていのことは自己完結し、最終的には「動く」「待つ」どちらかを選択することができるようになる。

そして一定期間刺激が与えられなければ、生き物の機能として「飽きる」ので、飽きてもはや「待つ」を選ぶ必要がなくなれば自然と次の出会いに恵まれる。

誰かに幸せにしてもらおうとぼーっとしているには人生は短すぎるし、誰かを幸せにしようと意気込むのはなかなかおこがましい。

じぶんでじぶんを幸せにするのだ!と毎日を生きていくのが一番今は楽しいと思って生活をしている。

それはとてもたのしい。