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酔っぱらいきると

はだかんぼのままで、青いソファのうえでじぶんの膝を抱えるようにして座る。

だんだんと白やんでいく空を背中に感じながら、じぶんの肌の感覚と口の中にあるチーズの塩辛さを確かめる。

夜明け前の心許なさ、ひとではないものの気配によって起こされ、部屋のなかにひとりでいることがたまらなく不安になるあの感覚。

わけもなく戸締りを確かめてしまうような、そういうこわさが部屋の外が明るくなっていくのと比例して薄れていく。

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何もかもすっかりさらけだしてしまった数時間だったなと昨日のオンラインでの飲み会を振り返る。

振り返りながら「なぜ酔っぱらいすぎたか」を考察する。酔っぱらいすぎるときは、意図的に酔っぱらいすぎている。「酔っぱらい」になって理性や自制心を壊したいと望むから、じぶんの許容範囲を超えて飲みすぎるのだ。

そこには何かしらの欲求の不消化が隠されている。

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前回のオンラインイベントのときも思ったけれど、画面越しは少しだけ欲求不満がのこる。

「会いたい 確かめたい」と思う。

それは「じぶんが今受け取っている感覚」の答えあわせをしたいという欲求と「あなたの思いと共振している」ことを伝えたいという欲求の2つからなる。

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もうひとつ考えた。

酔っぱらいきってしまうと服が着れなくなる。それは嘘がつけなくなることととてもよく似ている構図だと思う。

それは社会で生きるなかで服を着ることがじぶんを守ったり、ひとと繋がりをつくったりするうえで役に立つように、嘘をつくこともときどきそういう有用さを発揮しているという点でも。

「下手くそだけどないよりいい嘘もあるんだろう」とそんなことぼんやり思ってる間に、もう心の隙間揺らすこともないくらい夜明けはいなくなって朝がきた。

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酔っぱらうと、酔っぱらっていないときに何が抑圧されているのかよくわかる。シラフでは、それにはなかなか気づけない。

まっとうに生きているじぶんだけがリアルだと思い込みたく、その思い込みの皮一枚で首より上と下が繋がっているおかげで生活がまわる。

夜明けの頃に気配に起こされるのも「今認識できるところだけで生きるな」と言われているようなものなのかもしれないなぁと眺める。

終わってしまうと今した2つの考え事なんてくだらなく思え、部屋でひとり乾いて笑う。

全部がどうでもよくなってしまって、申し訳程度に裸にガウンを引っ掛けて、また眠る準備をしている。

おやすみなさい。