朝の匂いが、朝の匂いがした。
緑色の(つくりものの)顔と目があって「頭が動いているままでいなさい」と笑われながら「おやすみなさい」とあいさつをして階段を駆け下りて、車が全然通らない大きな道路を意気揚々渡って「ばいばい」と声かけあって。
小学生の別れのシーンのようだと、ひとりで笑った。
ただ、朝の匂いがした。
この愉快さ、空っぽさ、何もなさ、自由さ、ぜんぶのなかに朝の匂いがした。
ーー
「年を重ねたらわかるよ」と笑う。
わかるかなぁと、椅子に顔もたれさせながら思う。
「この町で何をしてるの」と聞かれ、なにをしてるんだろうなぁと、考えながら机に頬をぺたりとつける。
「帰ったら種のまま放っているあれをプランターに植えてやらねば」と、そんなことを思っている。
ーー
朝になったばかりの道路は、バスを待っている間に車がびゅんびゅんと通りはじめる。なんだか誰かの日常を盗み見ているような気がして気まずくなってしまう。逃げるように空ばかり見る。
空を見上げながら、夜から朝になるまでのことを考えて、誰のことも「ほんとうのところ」などわかりやしないのだと、わかったようなことを、わからないのにわかろうとしている。
バスを待っているその間に蚊にふくらはぎを刺される。掻いたからもっとかゆくなったような気がしてじーっと掻くのを我慢していると、あっという間に消えていく朝の匂いの行方を肌で感じる。
ーー
見たくないものも、よく見つめてみてみれば、じぶんのなかにあったのだと気付かされる。
美味しいところも、腐ったところも、どちらもわたしのなかにあるのだと、ただ気付かされる。
ーー
「肌も綺麗になってきて、ちょっと痩せて、今いい感じやね」と言われて”よい”変化に気づいてくれるひともいるのだなとなんだか嬉しくなって、胸を張って、朝になってしまった住宅街のなかをずんずん歩く。
仲間になるってむずかしいなーと、駐車場の端っこを歩きながらぼんやり思う。
耳良いことだけ言われていたいわけじゃない、厳しいひとのそばにいたい。一番そばにいるひとはみんな厳しいことばかりを言ってくれる。(みんなからは見えないくらいの「そば」である)
でも、それを「仲間」に言われたいかというとそうではない、のかもしれない。でも、それをうまく噛み砕けない。そもそも「仲間」ってなんだろうかと、生まれて初めての感覚に戸惑っている。
考えるのが面倒になって放り投げる。どうでもいいやと首を振り、ついでに腕を大きく振って歩く。
ーー
じぶんのことってどうやって大事にするんだろう。こうやって感じてることを言葉にしても、そばにいてやることもなかなかできない。
ーー
小さな失敗がちくちくと胸を刺す。
あそこでこう言いたかった、ほんとうはこうやってああやって。ぶつぶつとじぶんが言う。
もう終わったのだからと慰めてみるけれど「そういうことじゃない」とじぶんが言う。
一晩明けても、そんなに考えてしまうならとことん考えたらいいねと、ぽんと背中を押してみる。
そうこうしている間にこねくりまわすのに飽きて、次がんばるかーという波がまたやってくる。
ーー
言い訳って無限にわいてでてくるの。言い訳って一体なんなんだろう。誰にわたしこんなに言い訳してるんだろう。
たまねぎの皮みたいな気持ち、ぺりぺりと剥いていったら、まんなかにはつるんとした芯があるんだろうか。
褒められたいわけでもたいそうな目標があるわけでもない、ただ、なんていうか、もっと上手にできるような気がして悔しいのだ。
もっと上手にできたんじゃないかと悔しいのだ。
上手になった先に何かあるわけじゃないのに、なんで上手になりたいのかもわからないのに、わたしはただ上手になりたい、今取り組んでいること、みんな上手になりたい。
ただそれだけなんだろうなぁと、今思うよ。
ーー
いくら考えてもわからないひとのことなんてひとまずぽいっと投げて、どうしたら次もっとたのしいか考えよう。もしもうたのしくないならやめたっていい。
なんかもっと自由だと、暗くなった部屋のカーテンの裏側で、子どものとき、布団からのそのそひとり這い出て窓とカーテンのすきまで読みかけの本の大事にとっておいた最後のところ読んだときの明るさを思い出しながら、すっかり大人になってしまった身体を「ああ重たいな」と思いながら、寝転んでいる。
重たい、肉体も、肉体に付随するいろいろも、ルールも、仕組みも、契約も、ぜんぶ。ぜんぶ、ぜんぶ重たいなぁ。
ぜんぶ着脱可能ならどれだけ楽ちんなことか。
ぜんぶ脱いで、今日は眠ろう。もう、ぜんぶ。ぜんぶ脱いで眠ろう。
脱皮。