コロナの影響でフルリモートに切り替えて3週間。
AKOH KLOHのお仕事もお休みなり、3人暮らしから1人暮らしになったこともあり、ほとんどひとと会わずに生活をしている。
Lagoonのお仕事は前よりも意識的なコミュニケーションが増えたおかげで、むしろ進行が早かったり、進行がうまくいっていない点が明確になるといった良い変化も発見した。
But(久しぶりに連絡をとった比嘉さんに気付かされたのだけれど)「日常的に」「無意識で」していたコミュニケーションがなくなったことの影響や、画面越しや文章のみの情報で相手を理解する・相手に理解していることを示すためのエネルギー消費は思っていたよりもストレスとしてじぶんに影響していたことに気づいたのが昨日から今日にかけてだった。
それさえも、この状況に「適応」しようとして起きた効果なのだと思うと生物としてのじぶんにいじらしさのようなものを感じる。(伝わる?)
その一方で、仕事の細かい内容に関して、考え事が散らばったり、考えすぎて腐ったり、要するに「こねくりまわして」という表現がぴったり!な状態に陥ったりすることも増えているのは「適応」ではなく・・適応ではなく逃避だなと思った。
環境に対して適応しようとして起きる姿勢・非言語な部分での変化、状態としての変容。
そして、環境に対して適応しようとして起きた状態の変化に適応しきれずに、その変容から身をよじるようにして拒む、拒否的な反応。その反応こそが身体的なものも精神的なものも含めた意味での「行動」。
ホメオスタシス、恒常性。
今感じている不調和感が次のシーズンに向かうためのものなのだとしたら、このストレスと向き合う姿勢もじぶんに対して暴力的なそれからもう少し抱擁を持って行うそれへとワープができるのでは?とんぼんやり思う。
やってみたことがないことをやることはこわいけど、なんにでも初めてはあったのだと、こんなときに思い出すのはラートの練習だったり、藤村先生とのやりとりだったりする。
先生が笑う。「あなたなんかまだ赤ちゃんなんだからいつつくかわからない自信に期待していないで早く転びなさい」と。
先生は先生の時代を生きてきて、わたしはわたしの時代を生きている。あのひとも、あのひとも、あのひとの時代を生きている。
(コロナがおさまったら、一番最初に会いにいこう。)
関心を持てないことはできないのだから、関心を持てたことをこれ幸いと取り組んだらいい。
「まずはじぶんの生計をたてなさい」とおばあちゃんが笑う。
すごい!と思うひとが周りにたくさんいて、関わるひとみんなの魅力がキラキラとしている。じぶんのキラキラが何かわからないというのは20代になってからずっと思っているような気がする。
「30までは好きなことやりな」と叔父がこないだのお正月に言ってくれた言葉を勝手に免罪符にして、ご縁をいただくお仕事に力を注ぐ日々が続く。
見えていくといい、じぶんのできることが増えていくといい。増やしていこうと思う。なにがどうなるかなんてわからないけれど、誰かのペースではなくじぶんのペースで、また誰かが言うからではなくじぶんで考え答えを出しながら進んでいくことだけが命が終わるときにわたしの心を軽くするような気がするのだ。
わたしがわたしであることをやめずに、またわたしであることを明け渡して生きていくことだけが、その瞬間に心を軽くするというのはなんだか不思議だけど、でもそうとしか思えない。
何回じぶんの最期を想像しても、そう思う。
こうやって考えて、こうやって動いてきて、こうなったのだ。これでよかった。それでよかったと思うんだろうと思うのだ。
おじいちゃんが笑いながら「来るもの拒まず、去るもの追わず」「そういうものだ仕方がない」と笑った。
叔父も違うタイミングで「来るもの拒まず、去るもの追わず」「助けられるときはひとを助け、助けられないときは寄りかかって生きていったらいい」と言った。
刺さった言葉は、言ったひとの顔がのこる、声がのこる。
それは、そのひとの人生がぎゅっと詰まった言葉だからなんだろう。
「5分考えて答えが出なかったら考えるのやめて外に出なさい」
意識的に取り組むべきは次これなんだろうと、何度も伝えられる「考えすぎだよ」というメッセージを天邪鬼なじぶんを脱いで受け入れる。
ちょっとずつでいい、ちょっとずつ変わっていけたらいい。23歳よりも24歳のほうがたくさんのことができるようになった、大勢のひとと出会えるようになった。それぞれのひとと深くご縁を紡ぐことができた。
きっと25歳もそのようになる。24歳よりも25歳がよかったと次の3月にわたしが笑う。
それでいい、それがいい。
昨日お風呂のなかで読み終えたしいたけ.さんのエッセイ、めちゃよかったよ!
どの感情も感じ切って、じぶんにうんと優しくして、それからまた前に一歩踏み出そうというのがいろんな言葉で書かれた一冊。