いつも明るくげんきに!と思う。
でも、おそらくそういう性質ではないのだろう。
小さい頃から大勢のひとは苦手で、本を何冊も並べて片っ端から読んだり、おじいちゃん(これは母方の)とゆっくりお話をしたりトランプやオセロをしたり、おばあちゃんに編み物をならうことが好きだったじぶんを思い返す。
そういう子どもだった、上手に友達をつくることもできず、どういう距離感だったらひととうまくやれるのか(これはいまだにわからない)、そういうのが苦手だった。
でも、ひとを喜ばせるのが好きで、いつでもおちゃらけていたような気もする。ずっと両極を内側に持ちながら生きている。内側と外側、二方向への細胞分裂がずっと拡大し続けているような、そんな感覚がある。
それでいいのだと思えるようになったのは大人になってからで、そういうじぶんがカッコ悪いなと思いながら、不器用なりに出会うひとへの愛情を表現してきた。
おばあちゃん(これは父方の)がこないだ那覇にふらっと遊びにきて、唐突に言った言葉がしばらく胸にのこっている。
「人生は振り返ったらあっという間よ」
・・・あなたはまだずっと先まで長いようにそりゃ感じるでしょうけれど。となにかを慮って付け加えてくれた様子や、おじいちゃんが隣で「そうだそうだ」とニコニコしている様子も、まだ胸にのこっている。
昨日は久しぶりに大学生の頃、何度か危うかった(アクシデントによって人生からドロップアウトしそうな瞬間というのがあって)その状況を助けてくれたひとたちのライブを見に行った。
海に連れ出してくれたり夜な夜なドライブに連れ出してくれたり、わたしの代わりにうんと怒ってくれた先輩が連れて行ってくれた隠れ家のようなBar。
そこで出会ったのが、昨日北谷のライブハウスで大きな声でかっこよく歌っていたみなさん。
わたしが何度か通ったのはもう4、5年前になるんだろうか。
ドラムやギターがたくさん置いてあって、今ではもうBarは閉めて「軽音部」にしたんだそう。この頃は50名もメンバーがいると聞いて笑ってしまった。
「コミュニティをつくろう!コミュニティが解だ!」と躍起にならなくても、本当に必要でかつ居心地がよかったらそこには勝手にひとが集まるものだと思いながら。
中心メンバーの包容力がそうさせるんだろうとあの時間を懐かしく振り返ったり、なんだかずいぶん昔のことのようで不思議な気持ちになったりした。
「はるちゃん、大丈夫だよ」と大きなハグをもらったことをよく覚えている。芋づる式に「幸せってさ」と笑いながら話してくれたこと、先輩の歌声、飲みすぎたグレープフルーツ味のカクテルの色合い、いろんなことを思い出す。
記憶ってとても不思議。記憶はとても不思議。映像のように再生されるそれは正確な記録ではなく、言葉も表情もきっと(わたしにとって)都合よく演出が加えられてしまっている。
それでも、その記憶に支えられながらわたしは立っていて、生きるのをやめてしまいたくなった痛みもあったことなど忘れて今を生きている。これからも生きていく。
みんなのこと変わらず大好きだと思った、かっこよくて生きることをたのしもうとしていて、そういう姿勢がとても好きだと思った。
沖縄に出てきて今年で8年目になる。
じぶんで決めた場所で生きられる幸福を謳歌している。
でも、それだけじゃ物足りない。でも、なにが物足りないのかわからなくて、その欲求不満をひたすらお仕事で解消している。
でもなんていうか、大学を出たあとのこの2年半のトライアンドエラーのなか、少しずつわかってきた。もっと”創造”したいのだ。
生きるのをたのしむ、それって主体的であることで、どこまでも感じること、受け取ること、受け入れることだ。その姿勢は、そう在ると決めること。
こないだ同居人が「毎朝生まれて毎晩死んで、次の日は前の日と違うじぶん!っていう考え方いいですよね」と知人のFBを読んで知ったという考え方について話していた。
その、大学時代に起きたアクシデントのときになんでかわからないけど一度相談した相手のひともわたしに同じように言った。「はるなちゃん、朝って漢字は分解すると十月十日になるでしょう。朝が来るたび人は生まれ変われるんだよ」
人生がおばあちゃんが言うみたいに”振り返ると”あっという間で、かつ毎日生まれ変わって生きていけるとしたら。
昨日のわたしの気持ちと、今日のわたしの気持ちが同じじゃなくていいとしたら。
なんだかすごい身軽だよね。
ぴょーん。
「はるちゃん、大丈夫だよ。ぜったい大丈夫だから。」
今年トライするいくつかの試みが失敗しちゃうか成功させられるか、まだわからないんだけど、でも振り返ったらたくさんのひとにいっぱい応援されて今があるように、たぶん、これからもそうだと思うから、ちょっとこわいけど、やってみる。
毎年その繰り返し、あと1ヶ月と2日で25歳になるよ。「社会人らしくなった?」と言われることも増えたよ。(だいたい眉毛描いてる日に言われることは置いておいて)
ここからは「げんきでしあわせな姿」を見せるためにではなく、わたしがあっという間に終わる人生の最後、その道のりを振り返ったときに「これでよかった」と思うために。
もしかしたらせっかく安心してもらえたその安心を揺らしてしまうかもしれないけど、でも「ああこれがわたしがしたかった”創造”でした」と身体とお別れできるように生きようと思う。
そして、いただいた「大丈夫だよ」を伝染させられるひとになろう。
読んでくれて、ありがと〜う!
あれからもう3年経ってるのね!おどろき。