NOW 500→1000

お正月のこと / 出かけるのが好き / 小さな日々を重ねて

ももちゃんから突然ぱっと送られてきた飛行機予約のホームページを眺めながら、どこへ行こうと考えていたら、叔父がなんだか変な顔をしてこちらを見ていた。

なに?と目で尋ねれば「あなたは本当にどこかへ行くのが好きだね」といつもと少し違う調子で「驚いた!」といわんばかりに視線をまんまるにして、なんだか珍しい生き物を眺めるように言葉を置く。

不思議に感じたので改めて目をあわせると「俺はひとりでじっと本を読んでる方が旅よりも好きだな」と続ける。

感覚が近い存在だから差異があると驚くのか、それとも何か別のことを考えていたのだろうか。

f:id:pidakaparuna:20200211235135j:image

いつもの会話と様子の違う叔父に笑いながら「いつも同じ場所にいると飽きてしまう」と言い訳したじぶんもまた少し不思議な感じだった。

本当のところ、どこか遠くへ行きたいだけで行き先はどこでもいいのかもしれない。

台湾でも、ニュージーランドでも、アメリカでも、はたまたタイでも、もしかしたら国内でも。

どこだっていいのかもしれない。

必要なのは居心地の良い会話とおいしいご飯、少しのお酒、味の良いコーヒー、安心して眠れる場所。

ひとり旅やバックパックの旅よりも、清潔な寝具とたのしいひととの感覚の共有のある旅のほうが好みだ。

誰といても誰といなくてもあまり変わらないじぶんだからかもしれない、大切なのはじぶんの居心地の良さをキープできる環境をつくる力なのかもしれない。

叔父と同じようにわたしも本を読むのが大好きだけれど、旅にはまた違う魅力があるものだと感じているよ。

日常へ分かれればあんなにべったり一緒にいたのが嘘みたいに連絡を取らなくなる叔父へ思う。と、叔父のこと考えるとなぜか漂うタバコの香り、銀杏のはぜる音。幸福な思い出たち。

今年の実家の気配はなんだか濃密でいつもより身体の周囲に長くとどまっている。なぜ?

f:id:pidakaparuna:20200211234653j:image

わたしへの心配のような、気を配る心のような、それとあわせて何人かのひとからの細くでも濃く美しい気配も届く、深く集中すれば誰からか感じられるような気がする。

ひとの念って距離に比例しないのだ。よいものもわるいものも、わたしたちは肌なんて境界線をいとも簡単にこえて行き来する。

f:id:pidakaparuna:20200211234852j:image

香りが染み込むように、自然にそのひとがわたしのなかに滲んでは、まるで何事もなかったように、煙のようにするすると出ていく。

それは国境さえも関係なく起きるよ。

どこにいたって、海外に出たって、わたしの身体のなかも頭のなかも心のなかも、沖縄にいる今と大差ないことをタイに滞在しているときに思い知った。

思い浮かぶひとの顔は同じだし、声が聞きたくなるタイミングも同じ。ひとりひとりのひととの関係のなかにわたしは生きている。

叶わないことがたださみしいと思ってしまうときもある。

f:id:pidakaparuna:20200211235258j:image

でも、そんな思いからくるんと自由になって、今年はもっとたくさん外に出られるようになりたい。そんな風に仕事がしたい。

この年末年始「お前はどこに行っても大丈夫だ」と叔父と祖父母が何度か言った、でもわたしはそう思っていない。それは身内びいきだろうと思う。

「まだじぶんでなにかを生み出す強さがわたしにはないもの」と暗くなりかけると、藤村先生が内側で笑うよ。

まだ赤ん坊のようなあなた

ゆっくり焦らず、でも怠らずに進みなさい

じぶんの心が振れることを選びなさい

エネルギーが増えることを選びなさい

先生が微笑みながら言う。

わたしはわたしで生きていこう、大好きで尊敬している叔父のようにはなれないし、憧れてやまないあのひとのようにはストイックになりきれない。

それでも、わたしはわたしで生きていこう。こんなに大きな世界では、こんなにたくさんのひとがいる世の中では、あんまりにも小さな一歩だけれど、思う未来の方へ日々を重ねていこう。

眠る前、いつもそう思うよ。

読んでくださってありがとう〜