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境界がぐらぐら / 散歩に口実が必要なタイプ

気圧のせいだったのか、あちらにいる家族や大切なひとたちが気にかかって落ち着かなかったのか、昨日はじぶんと外側の境界線がいつもより不確かな日だった。


“触ってもいいひと”と“触られてもいいひと”というのがなんとなくいるのだなとじぶんについて常日頃観察しているとわかる。


境界線が曖昧な日はじぶんがここにいるのだという感覚が薄い。じぶんの枠がゆらゆらとしていてなんだか心許無い。


そんなとき、ちょっとしたスキンシップにわたしは救われていると思う。子どもから手を伸ばされてするお別れのタッチ(しなさいとされるものはあまり好きじゃない)、さらりと握手、久しぶりだねとハグ、ぽんと頭に置かれる手のひら。


昔は朝も夜も一緒にいるひとがいて、いくらでも触れ合ってじぶんの線を感じられたけれど、今はそうではないからこの日の過ごし方はすごくむずかしい。


昨日は久しぶりにとても強く境界が曖昧だったものだから混乱しながら一日を過ごして、混乱が強くなりすぎていつもより3時間も早く職場から帰り、帰り道もぐらぐらとして送ってくれたひととの会話もままならなかった。


大人になるまではもう少しかかりそうだなんてぶつぶつ呟き反省しながらとうとう立ってさえいられなくなって寝転びながらめまいのなか今日の日にさよならと思ふ。


目がさめるとまだあたりは暗く、身体は久しぶりに何時間も眠ったあとの清々しさで溢れ、境界線は戻ってきていて「わたしはわたしだ」と思いながら身を起こした。


何時か携帯の画面で見ながらベランダに出れば空がほんのすこしだけ白んでいて、同居人の寝息が壁越しに聞こえる。


仕事しよう、そう思って身支度もそぞろパソコンを開いた。


一段落してベランダに出れば雲に金色がまぶしくうつる。朝のこの時間が暮らしのなかで一番好きだとうっとりしながら仕事を中断して外を歩く口実を探す。

 

「カフェラテ飲もう」と決めて玄関に散らばるサンダルに足をひっかけた。


歩きながら妄想する、もし男と女がない世界だったら昨日のスキンシップは?とか。それから記憶を少しめぐる。あのときの言葉は腹が立つなこのやろー覚えとけー!とか、昨日の帰り際雑じゃなかったかなぁ...とか。


歩きながら体温が上がってくるとだんだん記憶は整理され終わって、まあいいかと落ち着く。なるようにしかならないしすべて良きようになる。


心がしーんと静かに落ち着いて朝と溶け合っていく。

 

なんだかホッとしたのか、今度は心ゆくまで思いっきり抱きしめられたいなぁと朝からそんなこと思って照れくさくなって帰り道。

やっぱり東京へ行こうかしらとまだ比較的融通がきく12月のスケジュールに目をやる。

触ってもいいひとも触られてもいいひとも安心して触れられるひととは違う。

今のわたしに必要なのは揺さぶられる刺激ではなくてお仕事がんばる土台になるような安心。


とはいえもう夜明けから朝に変わり境界はだいぶはっきりしてしまったので、今さら誰かの存在を強く求める気分にもならない。

あなたが思っているよりもわたしは大人で、わたしが思っているよりもわたしは子どもだね。

さ、お仕事の続きしよう。 f:id:pidakaparuna:20191013071332j:image

コンビニのカフェラテはLAWSON推し