「美しき緑の星」という映画をみた。
感じたことや考えたことを整理するために書き出してみるけれど、内容を知りたくないひとは読まないでほしい。
とはいえ、わたしの咀嚼のために、だいたいの内容を言葉にし直している。ストーリーを伝えたくて書いてるわけではないので悪しからず。
ただ、じぶんが思ったことすべてを正直に書こうとも思っているので、読んで感じたことがあったらぜひ感想を教えてほしい。
また上映会やるので、見たい!と思ったひとはぜひ情報ウォッチしていてほしい。
前置きは以上!
素晴らしい映画であり素晴らしいきっかけだった。ミラに心の底からありがとう。
1. ミラ、地球へ
宇宙のどこかにある小さいけれど豊かな、たったひとつの人種のひとびとが暮らす星。
朝起きたら湖に飛び込み、野菜や果物が豊富に実り、小さな子どもからお年寄りまでが安心して暮らしている星。
政治は、年に一度の集会のみ。
山のてっぺんで行われるその会では、ひとびとがお互いに余ったものを必要なひとに分け、誰が亡くなったか、誰が生まれたかをシェアしていく。
集会の後半、他の星々にその星にくらすひとを”派遣”する話でひとびとは大盛り上がり。
どこどこ!と中心人物らしき女性がこえをだすとみんながわらわらと手をあげたり立ち上がったり、じぶんが行きたいとアピールする。
(ウォールストリートで起きた占拠運動中のコミュニケーション方法のことを思い出す景色だった。ボディーランゲージによるコミュニケーションはよりダイレクトに相手に届く、同一の言語で話すことは同じ意味の言葉を持っていることを意味していない。身体全体で会話するのは集団のなかでは特に多数決を取る際に主体性を持ちながらダイナミックに意思疎通、統一をすることができる良い手法だと思う。)
人気のある星がある一方、誰も地球には行きたがらない。
理由として、下記のようなことがあげられる。
・お金がないと食べ物が買えない。
(社会が飢えを許容している、お金があること=生存の権利)
・男性が女性よりも権力を持っている。
・リーダーを中心とした権力の構造がある。
などなど。
そんななかひとりの女性、ミラが手をあげる。
わたし、行きたいわ。
一同がシーンと静まる。
彼らが他の星に仲間を”派遣”する理由は、どうやら意識改革のようだった。
「地球みたいなレベルの低い星を変えられるわけがない」
そう声を上げるひとりに対して、中心的に会を仕切っていた女性が
「でも、肥料にはなれる」
と答えていたのが印象的だった。
そんなこんなでミラは地球へ行くことが決まる。
ここで面白いと思ったのは「転生」ではないということだった。その星の住民として生まれ変わるのではなく、あくまで第三者としてその星に介入する。
カモフラージュも不十分なまま地球へと送られる。
それらの描写はまるで馴染む必要はないというかのよう。あくまで「異端な存在」としてミラはもといた星と比べて劣悪な環境である地球で過ごすのだ。
2. 接続解除 レベル弱
そして、その後ミラはある力を使って地球のひとびとを混乱させていく。
それが”接続解除”だ。
ミラと視線が長い時間あったひとに自動的に起きてしまうこの接続解除。
それが起きるとひとびとは真実を語り出し、抑圧から自由になり、身体がそれを表現する。
つまり、接続解除は「集団的な意識」である文化的なルールや、非明文化のルール、思い込み、モラルへの接続を解除してしまう。
たとえばある男のひとは、ミラと会話したあと靴と靴下を脱ぎ捨てて「まっぴらだ!」と脱ぎ捨てたそれに対して吐き捨てる。
ほんとは裸足でいたかったんだなぁ。
と、ほのぼのとした気持ちでそのシーンを見た。
(吉祥寺で一年間裸足で暮らしたあるステキなひとの顔が浮かんだ。)
3. 接続解除 レベル強
ミラはもうひとつのレベルを仲間たちからインストールしていた。それが接続解除のレベル強、これは”強制解除”といってもいいようなレベルでそのひとを変えてしまう。
ミラが独特なモーションで発動する。
そして、物語のなかで印象的だった天パの男のひとがこれを受ける。(なんとあのチャップリンのお孫さんだそう)
解除される前は権威的で女性を軽んじ、家族にも無関心だった彼は、ミラによって解除されてから溢れ出す愛とまらず、まわりのひとにそれを伝え、またまわりのひとからより愛されていった。
4. その後のもろもろ
そのあといろいろあって、ミラの息子2人も地球に来ることになり、彼らは間違えてアボリジニのいる地域へ着陸し、しばしの間彼らと行動を共にする。
そしてミラに言うのだ。
ここは素晴らしいところだよ!
ずっと昔から地球を傷つけずに豊かに暮らしてる素晴らしいひとびとがいる。彼らにはテレパシー能力も十分にあるよ!
ちなみにミラが降りたのはパリ。
空気が汚れひとびとはイライラして暮らしていた。テレパシー能力なんてもってのほか、ミラはだれとの会話にも苦労する。(頭がおかしい様子だったり、社会のルールにそぐわなかったり、弱者と呼ばれる人とは会話がスムーズにできる。)
テレパシー能力って、結局は感じる力と伝える力だと、このシーンを見ていて思った。
人間の基礎的な能力として備わっているそれは、社会のなかでは不必要、むしろあると心を壊す原因にもなりうるから積極的に排除されていく。
誰でも赤ちゃんの頃や子どもの頃は使えたはず。
身体全部を使って相手の思っていることを想像し、表情や身体的な微動を観察してその欲求を探る。
わたしはたまたま生い立ちからそれがかなり強くのこっているからか、赤ちゃんや小さいひととのコミュニケーションがとてもスムーズにいくことが多い。
お母さんやお父さんが驚かれるくらい、に。
でもこれはある特殊な状況をのぞいて、じぶんに余裕がなければできない。全力で感じることも、全力で相手との共通言語を探し伝えることも。
そのどちらも、じぶんが満たされていて相手の話を最後まで見届けることができて初めて使える力だと思う。これはまだうまく言えないけど。
とにかく、生活を心配しないといけないような社会ではテレパシー能力は発達しないのだ。
言葉はあくまで補完的につかうもので、本来のスムーズなコミュニケーションはこれが土台になっているはずとも思いつつ。
5. 見終わってからの混乱①
さて、わたしはとても混乱した。
それは、まずミラが地球の変化を見届けずに母星に帰ったことがショックだった。
なにも見届けていないのに!
そしてのこされたあの天パの人大丈夫かよ!
解除の力、天パ息子にシェアしてたけど、いやいや天パ息子もその後大丈夫かよ!!!
なんなんその信頼!!いや丸投げ!!派遣ってそんなもんなん観察やん!!!!
とツッコミが止まらなかった。。
今も、わたしだったら帰らない、いやわたしは帰らない!という気持ちが溢れてくる。
これは、アーバンパーマカルチャーについて発信している素敵なひと、ソーヤー海さんのストーリーがわかりやすい例だと思う。
海さんのインタビューを読むと、超ハッピーなジャングル生活から、強い意志を持って都会へと活動場所を移していることがわかる。
どこか天国のような場所で限られたひとと豊かに暮らしても、社会は変わらない。閉ざされた場所で限られた人と暮らすだけで満足する、それはある意味で加害者でい続けていることと同義なんだ。
だから、ミラが帰ってしまってショックだった。
でも監督としてのミラへ思いをはせると(この映画はミラが監督で主演だ)、ミラが接続解除をしたのは天パたちだけじゃないことがわかる。
つまり映画の先にいる、映画をみているわたしたちも接続解除されたひとたちなのだ。
だからたぶん、だからたぶん安心して帰ったのだろう。真相やいかに。
6. 見終わってからの混乱②
次にじんわりと、天パの奥さんが言った言葉と、奥さんとミラの化粧にまつわる会話が心に思い出された。
天パがミラに強制解除され愛に目覚めてから、奥さんに過去の自分への反省を口にしつつ「こんなひどい男となんで君は一緒にいるんだい?」とベッドで聞いたシーン。
おお「...愛してるから」って言うんだろなぁと、いいなぁ夫婦!よ!ベストパートナー!ひゅーひゅー!って思いながら見てたら、まさかのセリフに口あんぐり。
「お金のためよ」
えぇぇぇぇぇぇぇぇ
ってなった。そんなん言うんだと驚いた。
映画ってもっと、愛に満ちたこと言いそうだという先入観、そしてそれが本当の愛からわたしたちを遠ざけているという別の考え事、とにかく瞬間にカオス。
そしてそのあとさらに、続いたセリフ。
「まるで娼婦ね」
もう、口あんぐりあんぐり。
あんぐりしすぎて裏返ったよ。
だって、これは、真実のひとつだ。
夫婦にセックスが閉じ込められている今を言い当てた言葉だと思ったし、そして女性の自立がないとき、男性の権力下にあるとき、セックスは義務化しやすいという点もこの言葉が表しているとそう思った。
「離婚したいけど離婚できない」
「結婚したいかわかんないけどとりあえず」
「誰でもいいから結婚したい」
今までお客さんから聞いた言葉だった。
その全部が深めていくとこの「お金」にぶちあたった。
そしてわたしも、就職しないって決めたときやたら結婚したくなって、よくももちゃんに聞いていた。2年前?
わたしの場合は何回も彼を相手に言語化を重ねていく過程である日突然ようやく「あ、結婚したいじゃなくて、ほんとのほんとは養ってくれるひとがいたら恐怖なく好きなことできるな、だからあなたはほんとはやりたくない仕事だったとしても頑張って!というメッセージだった」と気づいて情けなくて大泣きした。
もちろん、それは悪いことではないかもしれないけど、そしてそういう風に頼られることが好きな男のひともいるかもしれないけど、わたしはこれが彼への暴力だったと、「好き」とか「愛」とかを隠れ蓑にしながら「社会の普通」っていうグローブをつけて殴り続けてたんだと気づいて、ほんとにじぶんが情けなくなって大泣きした。
それは同時にじぶんへの暴力でもあったよ。
ちなみに奥さんはこのあとじぶんの選択でしばらく実家に帰り、その後ほんとうにリラックスした様子で天パのもとへ帰ってくる。
それは、たぶんミラとのお化粧の会話に鍵があるのだと思う。
7. 誰のための口紅?
ミラが天パの奥さんにバッグの中身を訪ねるシーンがある。ミラの奥さんは働いているひとだ、持っているバッグにはお化粧のための道具と家族の写真が入っていた。
ミラは口紅を指して、これはなに?と訪ねる。
奥さんは、こうやって使うのよと塗ってみせる。
なんのために?
綺麗に見せるためよ。
だれに?
みんなに、、みんなに。
なんのために?
愛されるため。印象を良くするため。
だれに?
み、、みんなに、、、。
それは難しくない?
えぇ、、でも、、いいえなんて答えればいいかわからないわ。
こっちは?
家族写真よ。
あなたの愛しているひと、あなたを愛しているひとね。(微笑みながら。)
そうね。(微笑み返しながら。)
でも、この写真のあなたは口紅してないわ。
、、、。
わたしはこのシーンを見ながら、こないだ同居人のよーてんとした会話を思い出していた。
「足りないと思ってするお化粧はじぶんを傷つけるような気がする」という話だった。
よく「すっぴんだと申し訳ない」という人がいるねというところからの会話だった。
あなたのそのままの顔に申し訳なさなど微塵もないのに、なぜそんなひどいことをじぶんに言うんだろうと悲しい気持ちになる。
わたしも遊びのようにそう言っていた時期があったけど、それって結局ドラマや映画や身近な大人の真似っこだった。
おかしいと思ってから意図的にお化粧をしなくなっていった。
みんながするから、それがマナーだから、清潔感のために、みんなのために。そんなのはおかしいと思って、お化粧しないことを選んだ。
お化粧したってしなくたって、わたしの顔はわたしのもので、それは相対的な評価に自ら晒していいものではない。
わたしの顔は、わたしのものなのだ。
今のわたしはそう思って、そう在ると決め、そう在っている。
でもこないだ新しい青いズボンが素敵で、久しぶりに会える人に好印象を持って欲しくて、朝出がけに口紅をつけて眉を描いた。
それはそれで非日常がたのしかったけど、歩いているうちに汗をかいたのか、会場に着いた頃にはすっかりいつものわたしだったのだけど。
するのが悪い!ということが言いたいわけじゃない。したくてしてるか?というのが重要だ。
8. まとめ
というわけで、わたしが感じたいろいろでした。みなさんはなにを感じながら観たんだろう。
わたしは人間が人間であることを思い出し、人間であるためには地球の資源、自然が必要なことを思い出し、誰かの抑圧や強制的に押し付けられた仕組みからきちんと自由になること、日常的に嫌なことを我慢しないことがやっぱり大事だと思った。
でも、見終わってから地球って、経済って、時間って、組織って、仕事って、家族ってと考え事止まらなくなっていて、新しい本を何冊も買うほどに、学ぶ意欲がまた湧いた。
それもよかったことだ。
変に悟ったふりをしてしまうのはもったいない。
意識が低い、接続解除されていない誰かと、意識が高くて接続解除されてるわたし、と思ってしまうのももったいない。
わたしたちはまだまだ”ヒツジのうんこ”ほどしか脳みそを使えてないのだから。
まずはその脳みそをフル活用し、ひとびとと盛んにコミュニケーションをとり、ほんとうのことを選択し続ける勇気を持つことだ。
小さく小さく、はじめの一歩を踏み出そう。
そう思ったよ。