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現実が動くとき / 動かないとき

だいたいの間は、細かく揺れることを繰り返していて、そこにいる間は現実も”揺れ”を体験することが多い。

あっちを見たりこっちを見たり、何かを感じたりその対極を想像したり。

 

しかし時折「ぎゅっ」と音がするように細かく霧散していたじぶんというあやふやなものがひとつにまとまる瞬間がある。

そのとき、身体はうんと重たくなり、じぶんの中心に向けさまざまな情報が集まり、感覚が鋭くなり、何かが起きて、何かが終わる。

 

大きなイベントがあったり、大きな出会いがあったり、大きな分かれが起きたり、ステージでラートを回したり、金額の大きなお仕事をしたり。

そういうときはそういうことが発生する。

 

それが終わると、ゆっくりとまた細かい粒へと戻っていき、あやふやなまま日々揺れ、少しずつ少しずつ感じたり考えたり思ったりという日常が戻る。

 

そしてまたしばらくすると「ぎゅっ」が訪れて、現実が大きく動く。

 

わたしの今まではそういうものの繰り返しでつくられていて、その都度「わたし」というものもアップデートされてきたように思う。

 

こないだまで好きでたまらなかったひとやものやことを今日のわたしは好きではないし、今日のわたしがそういう風に感じるものを、明日よりも先にいるわたしがどう捉えているかを今のわたしは知ることができない。

 

それがいいことでもわるいことでもなく、ただ起きていることでこれからも起き続けることだと知ったのはつい最近のこと。

 

今日もただ揺れた一日だった。

 

揺れにもリズムがあるのが面白い。なるべく心地よいリズムで揺れていたい。

それは連鎖して場をよりいいものにする。

 

久しぶりにどうしてもその場所へ行ってみたいという欲求が湧いたのでしばらくはお金の流れを生み出すことに注力したい。

もっともっと現実に根をおろす。

 

お金にもリズムがある。

 

居心地をよくするためにたくさんのお金を投資してきている。

今ようやくそれらが潜在的な閾値をこえて現実を変え始めている。

 

寝具も、服も、下着も、仕事道具も、食べ物も、水も、メンテナンスも、わたしの密度をとてもあげた。

 

そしてこれからは、すごく先の時点で大きく現実が動くような種類のインプットを重ねていくときが始まる。

ただただまっすぐにじぶんの意思を放っていきたい。

 

濁ったコミュニケーションをとるくらいなら黙っていたい。

じぶんを傷つけてまで言葉にしたい思いなどない。

 

何よりもまず中心を満たすこと。そこがぶれてしまっては「ひとのため」はすべてウソになってしまう。

 

そういうために生まれてきたわけじゃない。

もっともっと、まっすぐに。

 

毎日それだけを思う。

 

座間味で過ごさせてもらえたおかげで、だいぶなかが整った。

たくさん得たエネルギーをすぐに放出できないのがなかなかしんどいのだけれども、どうにか仕事で昇華できるといい。

 

今はまだ、誰かを好きになったり、誰かでいっぱいになることを怖がっている。

そのハードルを越えることを願いながらも、まだ怖い。

それが素直な気持ちだと思う、もう少しの間、じぶんと向き合っていたい。

 

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