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「じぶんで在る」モチベーション

時間的には少し前の出来事なのにもうずっと昔のことのように思えて切ない。

せっかくついた小さな火の育て方もわからずに途方に暮れる。

次の一手がわからない、あれもこれも思いついては小手先過ぎてボツ。

せめて火が消えないようにと手のひらで包んで風から守るけど、こんなのたかが知れている。

もうすぐ消えてしまう、でも、どうしたらいいかわからない。

やりきれない気持ちを感じながら道をずんずん歩く。

 

ここ最近、急にお世話になっているひとや、久しぶりに再会したひとに「大人になったね」「おねえさんになったね」と、顔や身体が変わったと言ってもらえるようになった。

とても嬉しいと想う。子どもから大人になれたんだろうかという気持ちになる。

 

こないだ、あるイベントのなかで「見かけ3割、中身3割、のこり3割お金」という言葉が出てきていた。

見かけ・・・・と思って苦笑いをして顔をそむけてしまった。でもある意味で真実だとも思った。

いつも心地よいリズムのなか見たいようで見たくなくてでも見てみたいものを見せられる。

 

わたしの顔は、わたしの顔はどうだろう。

わたしの身体は、わたしの中身は、わたしのお金は。

相対的にしか測れないものな気がする。

個人として絶対的に存在しながら、測られるときは相対的。不思議な世界を生きている。

 

とはいえ、わたしはよく知っている。

じぶんがじぶんをどう思っているかしか意味がないと。

他人の評価などくるくると変わる。

 

そのくるくると変わる不安定なものにじぶんの心が揺らされるなんてことはありえない。

じぶんがじぶんをどう思っているか、それにヒットした他人の言葉に揺らされているにすぎない。

 

それを知ってから、わたしはとても強くなった。

わたしを傷つけるのはわたしだけで、わたしを癒せるのもわたしだけだと知ったからだ。

 

だから「見かけ3割、中身3割、のこり3割お金」あとの1割はなんだっけ。

それが真実だったとしても、それによってわたし自体の価値は変わらない。

そんなくだらないルールのある(人間的に成熟していないルールのある)社会のなかで、どう立ち振る舞うか(どう翻訳し表現するか)のみだ。

 

構造が似ている考え事に「褒められる」がある。

 

褒められると嬉しくなる。

もちろんモチベーションのひとつにもなる。

でも、褒められているだけでは物足りなくなってしまう。

 

要は相手も真剣かを見ているのだと思う。

わたしが真剣なとき、相手も真剣だと嬉しい。相乗効果で力がどんどん湧いてくる。

 

「適当でいいよ」って言われるとめっちゃなえる。

それなら誰か別のひとがやればいいやって思ってしまう。

 

褒められたらそれでいいわけじゃない。

わたしはすごいマネジメントするのには面倒な性格なんだろうと思う。。

わたしでもときどき持て余すのだから、他人にとっては更にだろう。

 

お仕事が好きだ。お仕事が好き。

お仕事で出会うひとたちが好きだ。もちろん苦手なひとにも出会うけど、それも多様性でいいじゃないと思う。

わたしが好きなひとだけで世の中はまわらない。いろんなひとがいるからまわる世界だ。

 

大人になったのかもしれない。なると決めてなった「大人」だったけど、やっと内実が伴ってきたのかもしれない。

 

褒められなくてもいいし、認められなくてもいいし、好かれなくてもいい。

それでもいいから、わたしのなかで筋が通っていると思えることを、まっとうだと思えることをして生きていたい。

 

その先でまっすぐ、ただまっすぐ話ができるひとと出会えるなら。

身体の奥の奥の奥の奥から、ただ、そのひとのことを待っている。

 

もっとそう生きるしかないんだろう。会えないかもしれないけど、それしか道が見当たらないのだ。

 

今見ている火は消えてしまうかもしれない、わたしがまだ足りないかもしれない。

消したくないから頑張るけれど、どうだろう。そんなこと、わたしにはわからない、わかりたくない。未来は未知だ!もんね。

 

頑張ろう。

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言葉にしたら、ちょっと気が楽になった。

出会えたら、いいなぁ。