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人生初イベント出店の記録:祝福は創造を助けてくれる

働くということについては何度も言語化を重ねているけれども、何度目の前にテーマとして取り出してみても本当に味わい深いものだと思う。

今回新しい「働く」を経験したので言葉にしておきたい。

イベント出店について

昨日、生まれて初めてカラーセラピーでイベントに出店した。

わたしは今まで「出店アレルギー」だった。なんだかずらっと並ぶその様子や、お客さんを座って待つのが不自然に思えたから。

実際にひとに面白おかしく出店について揶揄したことも何度もあるくらい、わたしには理解できない無縁のものだと思っていた。

出店の誘い

わたしのそういう揶揄癖のところも知っている方で、ご本人自身はトランスフォーメーションゲームという素晴らしいツールでセッションされている大好きな仲間のひとが、ふと声をかけてくださった。

やってみない?

やってみよう!実はずっとやってみたかったのだ!と秒で返事をした。

実はずっとやりたかったというのは大げさなことではなく、何度も月の雫というこれまた大好きでお世話になっているひとがその時期大きなイベントを企画していて、その出店を募集していたのもチェックしていたくらい、ずっとやってみたかったのだ。

でも、そのイベントに出店するためには月の雫のお二人に実際にセッションをするという審査があって、わたしはとてもじゃないけれどもしじぶんのしているセラピーが良いものでなかったらと、それが判明することを恐れて応募できなかった。

だけれども、そんなタイミングで別のお誘いがあって、イベントの規模も大きくはなく、主催の方にも初出店だというのもお伝えしたところ快く受け入れてくださったので、今回出店がさせてもらえる流れになった。

すべてブーメラン

今まで揶揄してきたそちら側に立つ日が近づいてくるにつれて、猛烈な不安と後悔がわたしを襲った。

なんであんな心無いことを言ってしまったのか、お客さんが0人だったら、ああやってじぶんがからかっていた並んでいたあのひとたちよりもだめだということにもなる、なんであんなこと言ってしまったんだろう、あのひとたちは今のわたしの恐怖を乗り越えてあそこに並んでいたのだ、わたしより何倍も何倍も度胸のあるすごいひとたちだったのだ・・・と深く深く反省した。

わたしのセッションは尊敬してるひとに胸を張って受けてほしいと思えるものじゃない、審査を受けるのを怖いと思うということはやっぱりまっとうなものじゃないのかもしれないと、激しくじぶんをなじり、何度も何度も心のなかで今までのひどい言葉を謝った。

舞台に立つ

練習不足でも幕は上がる。

ウクレレとともに人前で歌うことを初体験したときも死ぬほど緊張したのだけれど、そのときにウクレレの先生は繰り返しそう言っていた。

ラートの舞台のときもそうだった。

どんなに準備が万全だといえなくても、その日、その瞬間はやってきてしまう。

当日会場に着いた頃にはもはや一周し終え「ああもうお客さんなんかひとりもこないよ!あーあ!まったく!」と、いじけたときのちびまる子みたいな感じで、じぶんが本当にそういう状況になっても傷つかないよう必死で心の準備をしていた。

幕が上がれば

そこには全く違う景色があり、想像を超えた学びをいただいた。

開始すぐ「受けてみたい!」と初対面の方が。その方のセッションを開始してすぐ、今までのセッションよりも深い共感と一段階進んだ言語化が起きたことにじぶんで驚く。

するすると滑らかにセッションは進み「本当にありがとう!!受けてよかった!!」と涙ながらにお礼を言われるとわたしも泣いてしまいそうになった。

最後に「また受けたくなったらどうしよう!」と、連絡先まで交換させていただいた。

なんちゅう奇跡!

これだけでも来てよかったと、そのときは「じぶんの技術がいつの間にか進化した」と喜んでいた。

続けざまに

その後も休憩することもなく、ひとり、またひとりと、「会いにきたよー!」という嬉しい仲間のひとたちや、「お母さんと一緒に」と親子ふたりで受けてくださったひと、時間をともにすることも多い親しいひと、5時間で7人の方にたのしんでいただいた。

みんな大いにたのしんでくださって、泣いたり笑ったり、あっという間の5時間だった。

思い知る

最後に受けてくださった方のセッションを終えてわたしはきちんと今回の出来事の意味を学んだ。

まず最初に、セッションがより深度を増したのはわたしの技術が進化したわけではないということ。

お客さんたちみんな、わたしも含めたこの星に生きるひとみんな日々一歩一歩進むようにそうやって進んでいて、もはや「課題解決」「問題解決」「アドバイス」などどこにも必要がなくなっている。

もちろんセッションのなか具体的にそのひとにぴったりのツールや方法論が浮かぶこともあるし、それも伝えるのだけれど、わたしがあの日みなさんとしたのは「創造」だった。

より豊かに生きられる未来の創造。

よりじぶんらしく在れる未来の創造。

より愛をたくさん感じ溢れる未来の創造。

「創造」を増やす

導く誰かと導かれる誰かという構図は崩壊し、いかにお互いの創造性を高めあうかがこれからの関係をつくるのだろう。

お互いに否定をし合うこと、じぶんのなかでじぶんをいじめること、じぶんの可能性に蓋をし誰かの可能性を羨むこと。

そういうことを終えて次の一歩を始める。

ひとつひとつバラバラに分かれていた感覚をじぶんの内で結び、より大きな力でもって毎日を包み生きる。

実際にやってみる、体験する、新しい扉をノックする、そういうことがどんどんと新しい「創造」を助けていく。

キーは祝福

創造って具体的に書くと、なにかを生み出すということ。

なにかを生み出すためには土台がいる、タネが芽吹くためには良い土がいる。

祝福はその土を、その土台を醸成するひとつのキーワードになる。

今回のセッション、すべてのひとに共通していたのは強烈な「祝福」だった。

そして、この祝福に限り、わたしは誰が相手でも関係ないと気づいた。

そこにはセッションをするひとされるひとの区別が全くなく、ある意味で一体となって言葉を紡ぐ。

あますことなくそのひとの過去、今、未来の、わたしが隣で感じるものを言葉にする。

すべての瞬間に、その瞬間に形になっていないものたち側からの祝福が届いている。

形のなかにはない、形は完成されたもので、その形以外のところにその祝福は溢れている。

祝福する

日常的に祝福することは、今の世界にはあまり習慣がない。

しかし、お互いのエネルギーをより純粋にさせ高めるものは祝福なんだと知った。

おめでとう、本当におめでとう!

何度もそう思い、そう感じ、そう言葉にした。

祝福しあうとそれがさらに力を増し、種のようだった未来がどんどんと育ち強く芽を出すのが見えるようだった。

祝福には上下がない、わたしは何か特別なものをセッション中に見ているわけではない、わたしはおそらく深く共感しているだけだ。

そのひとの奥深いところにあるそのひとへのそのひと自身からの祝福を「気づいたね、おめでとう」という次の一歩へのエールを、わたしはそのひとに返しているだけなのだ。

出店を終えて

出店を終えたあとすぐに、次にじぶんがしたいセッション、セラピーが思い浮かんだ。それはとってもウキウキわくわくしてしまう内容で、そのために必要な準備を助けてくれるひとの顔もすぐにポン、ポンと浮かんだ。

わたしのなかは「喜ばせたい!」でいっぱいになった、もっとこうやってみんなを喜ばせたい、本当のことを手渡して、一緒にエネルギーを共鳴させ増やしていきたい。

純粋にそう願った。

おまけ

そんなことを経験したらなんだか続けざまに新しい仕事が、こちらも本当に以前からやりたかったことで願ってもいない環境でのお仕事だった、それが決まり小躍りした。

スケジュール的にはわりといそがしくはなるんだけれども、今この状態であればどんなスケジュールもこなさなければいけないものではなく、たのしんでいける予定になるだろうとそう思えている。

すべての点がつながるのはまだまだ先のことだけれども、それまでこの毎日を、この毎日思いつくことを形にする実験の日々を愛し進んでいきたいと改めて誓った。

というわけで、新しい働く「出店」についての記録でした。

もう二度とひとを馬鹿にしないと心に決める経験だったな〜苦笑

読んでくださってありがとう!

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