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働く理由とモチベーション

夏がきた!!! 

と、はしゃぎたくなる空気が沖縄のあちらこちらそちらで漂っている。

ワンピースの裾ゆらゆらと揺らして過ぎる風が肌に心地よい。

風はいつも時計回り。

台風のときだけ逆回り。

大好きなお洋服屋さん(職場でもある)のオーナーに教えてもらった風の話を思い出す。

季節変わり日に日に力増す太陽の光の眩しさに目を細め、時折続く曇りの日の湿気に髪を遊ばれ、帰りがけ同居人に持たされた傘が活躍する大雨に出会う。

わたしは地球で、そして沖縄で暮らしているのだなと実感する瞬間だ。

最近ますます軽やかである。

大きくじぶんのなかを占めていたあるふたつの主義から自由になれたことが大きい。

お金と権力についてのふたつだ。

今回は特にお金の話。

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(大好きな青いワンピースはまだ職場になる前、ファンとしてお店に通っていたときに買ったもの。背負っているリュックはパートナーからの誕生日プレゼント。履いているクロックスは同居人のりょーぽんの、手に持っているケーキはもうひとりの同居人へのお土産。幸福がつまった一枚。)

時給はわたしの価値を示す記号か

わたしが自由になったもの、それは言うならば「高時給至上主義」とも呼べるもの。みんなが等しく持っている時間、その1時間にどれだけ高い価値がつくのか、つけてもらえるのか。その金額こそがわたしの価値でその金額を向上させていくことこそが人生におけるレベルアップなのだ!というもの。

おそらくそれは、間違った憧れから始まった考え方だった。

「○○さんの1時間がいくらかわかってるのか」とか「お前の1時間とこっちの1時間は違うんだから、意識して話せ」とか、どこで聞いたかもよくわからないけれど、そういった会話や文章に触れる回数が大学生になって増すなか、時給が高いってなんかカッコいい!と思ったんだったと思う。

1時間でもらえる金額=わたしの価値?

その式は長い間に渡ってわたしを苦しくさせていた、でもどうすればその式を手放せるのか見当もつかず、ただその式に振り回されながらときどきひどく悩んでいた。 

悩みを解決する糸口はふたりのひとから与えられた。心屋仁之助さんと、非電化工房の藤村先生だ。

ぢんさんには「どうしたらぢんさんみたいになれますか」と素っ頓狂な質問をして、その答えとした「やりたいことをやって、やめたいことをやめること」という言葉をいただいた。

藤村先生には「どうしたらハッピーに暮らし続けられますか」とこれまた素っ頓狂なことを尋ねて、「お給料は下がってもじぶんの時間を創り出すこと、その時間がなければ湧くアイデアも湧かず、そのアイデアを試す時間もつくれないのだから」そう教えていただいた。

その言葉を灯火にして毎日のなか「なにがやりたくて、なにをやりたくないのか」「じぶんの時間がつくれるように働ける仕事はなんだ」とわりとストイックに感じて&動いてを繰り返した。

トライアンドエラーを重ねるうちにだんだんと理解していくじぶんの特性。

ずっと同じ場所にはいられない、長い時間勤務が続くとノイローゼになりやすい、直接誰かを喜ばせることができると嬉しい、いろんなひとと出会う仕事環境が好き、などなど。

そうして気づいたことをもとに仕事を選んだり環境ややり方を変えていったら、どんどんひとからお仕事を紹介されたり、ご縁をいただいて好きな場所で働けることになったり、運のいいことが続くようになった。

そして、お給料もありがたいことにどんどん増えた。

そんな絶好調のなか、これまた今年の4月から新しくいただいたお仕事も良い環境でやりたいことがやれそうなものだった。

のに、のに、のにである。

わたしは同い年の同居人がより高い時給で、かつ専門性が高いお仕事をいただいたというお話を聞いたあと、ひどく悩むことになる。

わたしの価値<わたしより時給のたかいひとの価値?

わたしはこの方向であっているのか。彼はすごくて、わたしはすごくない。だからお金の差があるのではないか。日々怠けているから能力が向上していないのでは。思いつく言葉でどんどんじぶんをいじめてしまう。一通り痛めつけたあと、じぶんのなかから湧いてきたひとつの疑問にわたしはハッとした。

「お金のために働いているの?」 

わたしはわたしにそう尋ねられたのだ。

「1時間に○○○○円もらえるから、そのお仕事がやりたいの?」

じぶんに尋ねられて初めて考え込む。 

「時給をあげていくために生きているの?」

はじめのうちはうじうじと反論してしまう。

だって食べていかないといけないから働くのは当たり前でしょ?働かなかったらどうやって家賃払うの?ご飯食べるの?

いっぱい働いてるからこそ好きなときに県外にいったり、マッサージ受けたりできるんだよ?我慢したいの?

しかし反論しながら、あるひとつのお仕事のことに自然と視線がいく。

それはお洋服屋さんのお仕事のこと。このお仕事は一番わかりやすくモチベーションがお金にない。たとえ見習いという形だったとしても週に一度お店にお手伝いにいきたいお仕事だ。

このお仕事にはたくさんの味わい深い学びや喜びが詰まっていて、ひとりひとりのお客さまとのコミュニケーションを振り返ると、たしかにわたしだったからできたことがあったように思うのだ。 

もちろんまだまだ完璧とは程遠いので失敗もするし、わたしだからダメだったこともあるだろうと思う。だからこそ面白くて、次はこんな風にしてみよう、こういう組み合わせだったらどうだろうと試行錯誤ができる余白がたくさんある。

何よりオーナーとの会話が楽しく、ひとつひとつのエピソードに愛が詰まっていて生きているのがより楽しくなる。冒頭に書いた風の話のような「わたしは地球で生きている」のをいつも思い出させられるような場であり、関係であり、並ぶ服たちもそういうアイテムばかりだ。

訪れるひとも気持ちのいいひとばかりで「こういう生き方がしたい」「こういう年の重ね方がしたい」と思う大人の先輩たちとたくさん出会う。

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喜びあふれる空間で、喜びを循環できることに改めて感謝してしまう。

時給をもらうために働いている?

わたしは1時間にいくらもらえるからこのお仕事をしてるんじゃない。

お金をいただきながら学んでいるのだ。

そう気づいたあと、ぶわぁぁぁぁっと幸せが奥の奥から溢れてきて、ひとりでじーんとなって、少し泣いた。

ここにお店をつくる前はここには別の空間があった。ひとつひとつを決めてこの場所はできている。そしてひとつひとつの選択によってこの空間は続いていく。

ここには覚悟があって夢があって遊びがあって、地球の上で「風に暮らす」ことができるようなものが並ぶ。

ここに立たせていただけること、わたしは光栄に感じている。

、、、というような流れで、わたし、時給がわたしの価値じゃないって今は知っている。それぞれのお仕事の規模や、お金の流れ方、そのなかで最適な金額がある。それは必ずしも平均値がとれるものでもない。だから金額でわたしの価値は決められない。

わたし、わたしの価値はわたしが決めると知っている。

わたし、わたしがわたしの暮らし方を選べることを知っている。

わたし、わたしのしたい仕事を今している。

ひとつずつ確かめながら口にだしてみると、なんだかどんどんと力が溢れてくるような気がして安心した。そして、ちょっぴり昼寝した。

わたしは今5つの種類のお仕事をして、お仕事未満の活動もいくつかしている。どのお仕事も活動もそれに伴っていただけるお金もすごく嬉しいけど、何より「どのお仕事もわたしの糧になっているのだ」というのが今はすごくハッピーに感じる。

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カラーセラピーのお仕事も、大好き。

わたしの1時間の価値に、金額なんてつけられない。

だから何ってわけじゃなくて「わたしがどうありたいか」ただそれだけの話。 

金額じゃなくて、やりたい仕事を選ぼう。

やりたい仕事が思い浮かばないなら、どんな風に働くのが幸せか考えよう。

そもそも働くのが嫌い!っていうときはきっと休めていない。

「働く」という言葉もひとそれぞれいろんな意識があると思う。

わたしにとって働くというのは喜びの言葉だ。

もちろん身体的な苦しみがあるときもあるけれど。

最近は「仕事っていうか遊びみたいなもの」という言葉に憧れている。

わたしもそう心から言えるように、もっとじぶんのことを知りたい。

いつもこうやってじぶんと話している。

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