働くのは喜びだ。
身体の半分は深く頷き、それだけでは足りないというかのように足元から踊り出してしまう。もう半分は首を縦にふりかけ、、て止まる。もう半身のようにまでとはいかなくとも肯定の意を示したい様子なのにどうしてもできないようだ。
申し訳なさそうに目を伏せる半分のじぶんに視線を合わせる。見られた半身のわたしはますます肩身が狭そうに半分の体をさらに縮め、今にも叱られるのではと怯えている。
うっかり傷つけてしまわぬよう、呼吸を整え言葉を選ぶ。
「100%割り切らなければいけないものでもないのだから」と声をかけるとやがて少し間があいたあとにゆっくりと彼女たちと会話が始まる。
働くのは喜びだ。
どうしてもそう思えないじぶんを深く恥じている。ぽつりぽつりと本当の思いを言葉にするわたしの傍らにならび、繰り返し背中をさする。
なぜ?ともう片身のわたしは不思議そうだ。
「こんなにたのしいことってないのに」と口を尖らせる。
コーヒーが欲しいと言ったお客さんにコーヒーを出せば喜んでもらえる。それが美味しいとさらに喜んでもらえる。
購入するか迷っているお洋服、どういうところがお客さんに似合ってるのか教えてあげると、嬉しそうに買ってくださる。
来る時よりもさらに素敵になって帰る後ろ姿がとっても嬉しい。
ライターさんにインタビューの書き起こしをお送りすれば「助かったよ、ありがとう」とお礼を言ってくれる。早く出したら編集者の人も喜んでくれる。
会いに来てくれたお客さんに、まっすぐ言葉を届けていく。並べられたカラフルなボトルに癒されながら過去や未来にいるお客さんと今のお客さんの調和がとれていく。
「こんなに嬉しいことはないのに」とこちらが止めるまで際限なくお仕事の喜びをどこか誇らしげにわたしの1/2が伝えてくれる。
「だけど、だけど」と、同じ1/2サイズとは思えないほど小さくなったわたしが泣きそうな顔で話を始める。
本当は眠たくて泣きたいくらいなのに、無理やり起きてお仕事場へ向かうときもあるでしょう。
さっきお仕事が終わったばかりなのに、ご飯を食べたらすぐに別のお仕事で頭も心もついていってないときもあるじゃない。
とっくに日付も変わってもう布団に入りたいのに締め切りだからとパソコンに向かい合うことだってあるし。
同じ空間のなかに長い時間いるだけで飛び出したくなってしまってどうしようもない気分になるときさえあるのに。
わたしは働くのは喜びだなんて、思えない。
話し出したら止まらなくなって、最後は最初よりもずっとはっきり「思えない!」と言えたわたしが嬉しくてつい微笑んでしまう。
そんなこちらの様子にも気づかずに、半分の身体の彼女は働くのが喜びだと思えないじぶんを良いとは思えなくてそんなじぶんを持て余しているんだと、それでも半面のじぶんのことも愛していて、だけれどやっぱりその半面と同じようには生きられない、もうどうしたらいいんだと、悪いのはわかってるけどこれがわたしなんだと、かたっぽの目からひと粒ふた粒涙をこぼしている。
そんなわたしのことを、大切に大切に感じてしまう。
目の前に1/2サイズのふたりが並ぶ。
働くのは喜びだ!と誇らしげに言い切っていたほうのわたしもまさかそんなに半身のじぶんは苦しんでいたと知らなかった様子でおどおどと動揺している。
「だっていっぱいお金ももらえるじゃない」「いつも働いて偉いねって褒められるし」「いろんなお仕事してすごいね!って尊敬もされるよ」「嬉しそうにしてたときだってあったじゃない」とかなんとか、だんだん尻すぼみになるその声は、やがて聞き取るのも精いっぱいな声の大きさになってしまい、しまいにはうなだれて黙り込んでしまった。
気づけば2人ともほろほろほろほろ泣いている。サイズもずいぶん小さくなった。
どんどん小さくなる。もう聞こえづらくて仕方がない声で「どうしたらいいかわからない」「もう働くのなんか嫌だ」「誰かに会うのも嫌だ」「ずっとお家で寝ていたいんだ」「それがわたしのやりたいことだ」とかなんとかかんとかどちらの声かもわからず言っている。
こちらとしてはそんな様子もどうしようもなく愛おしく感じてしまう。
やがて嘆くのにも飽きたのか、ちらちらとこちらを向いたりお互いに目配せし合ったり。おそらくこちらが次何を言うのかふたりともじりじりと待っているのだ。
ずいぶん小さくなったなぁと、手のひらのうえに2人をのせて言葉を探す。
「まず、第一に」
泣きつかれたのかぼーっとした様子の2人に向けて語りかけてみる。
「まず、わたしは、あなたたちのどちらかより片方をより愛することはできない」きょとんとする1/2ズ。「そして、あなたたちのどちらかより片方がどちらかよりも優れていると思うこともできない」さらに混乱する1/2ズ。「最後に、あなたたちは片一方だけでは存在できないことをわたしは知っている」。
ふんわりと元のサイズに戻ったふたり。もう伝わっているからサイズが戻っているのだけれど、まだ言葉の意味が理解しきれない2人へゆっくりゆっくり説明を重ねる。言葉が身体に染み込んでいくうちにふたつに分かれたその身体はゆっくりとお互いに溶け合って、やがてひとつの身体へと戻っていった。
わたしは知っている、どちらの自分もほんとうの自分だと。わたしは知っている、どちらの自分もどちらかなしには生きられないと。わたしは知っている、どちらのじぶんも等しく素晴らしい存在だということを。
そしてわたしたちは中心を囲んでくるくるとまわり、いつの間にか混じり合ってとろとろと眠るのだ。眠っている間だけ、向き合って言葉を用いずに話すときだけ、わたしたちはひとつの存在として呼吸をともにすることができる。
そうやって、一回一回の分かれを通してわたしたちはより強く結びつき、より力を磨き、やがて身体さえいらなくなってしまうときがくる。
でもそれはずっと先の話、その前に星が終わらないように「働く」を通して社会をよくするのだ。泣いていた片割れの彼女の心を置き去りにしないよう、働き方やその内容、矛先に気を配りながら。
星をよくできるほどの力量はまだないのでときどきこの身体があることに疑問を覚えてしまうけれど、そんなときには決まって誰かが恋心通して教えてくれたり、美しい景色が目の前に広がったり、美味しい食べ物が届いたりする。
あなたに抱きしめられていたい、美味しいものをおなかいっぱい食べたい、綺麗なものをたくさん見たい、そんなちょっとゲンキンなじぶんでいいんじゃないかと最近は思っている。
過去にも未来にも原因や答えは存在しない。ただ、わたしがわたしを愛しているという事実だけがこの不確かな世界のなかでたしかに信じられる唯一のこと。そしてその愛のもとでしかわたしの行動は真実のものにはならず、この愛をより広げていくことが本当の意味での生きるということ。
うまくいく日もあれば、うまくいかない日もある。なんで言ってしまったんだろうという一言があれば、なぜ言えなかったんだろうと悔やむ一言もある。
だけれども、それでもこの身体と心と共に歩んでいくことがこの世に生を受けたただひとつの理由なのだから、余すこと無く感じきり、ひとつひとつの気付きを行動へと変容させていきたい。
歩みを深めていけばこそ、過去のあの日の一場面も未来で待っているであろう一場面もより豊かに輝きを増すのだから。そう信じて生きるほかにわたしは希望を持てないでいるほど絶望を持っているのだから。
不安も恐れも後悔もなくしたくない。彼らとともに生きることはわたしにとって深い喜びだ。不安も恐れも後悔もすべて「本当はどうしたかったのか」「何を選択するのか」つまり次の瞬間どれを選ぶのか、その選択肢をより明確にするためのヒントでしかない。
どのような流れも乗りこなしてみせようとじぶんに誓う。
夢のなかわたしは大きな馬の背にまたがり、今とは違う声と身体で生きていた。
あの頃から何ら変わらないじぶんが嬉しい。誇り高く生きようと目を覚ましてただ思った。