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もっと大事にしたい性のこと

性について書くのは、毎回少し緊張する。

それはやっぱり、じぶんにとってデリケートなことだし、誰にでもオープンにしてもいいことではないと思っているから。

だけれどもその一方で、だからこそ読んだ人に伝わるものもあるんだなというのは、今までの何回かの記事へのリアクションからわかった。

今回書きたいと思ったのは、これから書くことが生活のすべてに適用することができると思ったからだった。

書き終わったら長くなってしまったけれど、これから書くのは、「流されないこと」「わかったフリをしないこと」「気持ちいいフリをしないこと」の話。

大学生になる前にこれを読めていたら良かったなと思いながら書いている。

それくらい、いっぱい傷ついた大学時代だったし、今だから冷静に書けるところもある。そして、いっぱい傷ついたからこそ、たくさん考えるきっかけを与えられ、今のじぶんになったんだなぁって、ちょっぴり感慨深かったりもする。

読んでみて、意味がわからなかったところがあったり、こう感じたというのがあったり、こういう風に考えたとか、そういう反応があったらぜひ聞かせてほしい。

流されないこと

性的な経験、性行為をするというのは言うならば他者にじぶんの身体を触らせるということ。不安やドキドキ、喜びや幸福感、いろんなものがそれによって得られると思う。

そして、これは人間の脳の仕組みからそうなっているんだけれど、身体的な感覚を伴った記憶はただの学習の記憶よりも長持ちする。

だから、一回一回の体験って忘れたいと思ってもなかなか忘れられないものでもある。

(ひとにもよるかもしれないけれど)

だからこそ、やっぱり体験を大事にすることはとても大事で、そのひと本人が本当にしたいと思うときまで、ちゃんとタイミングを待つのが自然なことだろうと思う。

少しでも恐怖がまじっているなら、素直に相手とそれを話し合うこと。

少しでも不安があるなら、その不安がどこから来ているのかしっかりと見つめること。

あまりにも今の社会は、いろんな広告や、市場のために、恋愛がツールと化している。

恋愛がツールになると、そのなかの性行為も「して当然のもの」として作品のなかに描かれる。

つまり、あなたの幸せを願ってそれは描かれていない、多くの場合、その作品がより大勢のひとに届くことを目的にしてそういったシーンが入れ込まれている。

そしてそれは、「そういったシーンを入れればひとは見たくなる」という人間をバカにした思考から出発している行為でもある。

そんな社会に加担しちゃいけないって、今はそういう風に思っている。

性的な表現を排除したいという意味ではない。

ただ、大切なひとを大切にするため、大切なひとが大切にされるためには、女のひとの身体は軽々しく商業利用されてはいけないし、男のひとはあたかも欲求があるのが普通だというように洗脳されてしまってもいけない。

もっともっと、大切にしたいのだ。

どうして身体を触れさせられるのか。

なぜ身体を触れ合うのか。

そのコミュニケーションは何につながっていくのか。 

もし赤ちゃんができたら、どんな風に迎えたいか。

どんなお家で、どうやって一緒に家族になっていこうか。

いろんなこと考えながら、体験を重ねていけるような、そういう風になったほうが安心な社会があるんじゃないかと思う。

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わかったフリをしないこと

わけもわからないまま10代で初体験を迎えるひともいるという。

良くも悪くも刺激的だから、じぶんのなかにある欠乏感や虚無感から逃れる術にもなりえてしまう。

あのときのあれはそうだったなってじぶんのことを振り返ることもあるし、全部から逃げ出したくて、とりあえず思考を止められる時間にすがっていたともいえる。

でも、それはその状態を解決してはくれなかった。

だから、あの頃の逃げ道に性的なことを使っていたじぶんに言いたいのは「わかったフリをするな」だった。

みんなが体験しているから、なんだかかっこいいから、した後とする前で違うじぶんになれそうだから、気持ちよさそうだから。

そんな「架空」のセックス観で性行為をしても、得るものなんかなにもない。失うものばっかりだ。

画面のなかで、本のなかで、漫画のなかで描かれるそれはファンタジーだ。どこまでいっても「誰かの話」でしかない、わたしの話でもなければ、あなたの話でもない。

傷ついていることにも気づかずに、身体を誰かに明け渡さないで。

されていることが「嫌だ」と感じたら、それはもう二人のコミュニケーションではない。拒絶してもよかったのだと、振り返ってそう思うことがいくつかある。

じぶんの気持ちをもっともっと大事にしたら、今振り返ってこんな虚しい気持ちになることはなかっただろうって、あの頃のじぶんについてそう思う。

そういう経験をしないために大切なのは、一回一回立ち止まる癖をつけること。

誰かの価値観にじぶんの人生を委ねないで、ちゃんと考える。

好きだったら性行為をするのは当たり前?

好きだったら嫌なことをされても我慢する?

そうじゃなかったなと思う。

その好きってどういう気持ちなのか深く深く潜って感じてみる。

もし、その行為の先で妊娠したらどんな風にその赤ちゃんと暮らしていけるかを考えてみる。

どんな状態からでも幸せになることはできるけれど、それでも、刹那的な快感を選ぶよりも、じぶんも相手もみんなもハッピーになる方法を考えるほうを選べますようにって、今はそういう風に思ってる。

気持ちいいフリをしないこと

そうやって、一回一回の体験を大事にするようになってから、本当に素晴らしい時間を過ごせるようになった。

ただお互いの欲求を解消したり、他のうまくいっていないことの八つ当たりみたいに行為をしたりっていうことはもう一切ない。

触れ合っている間も、触れ合ったあとも、とってもホッとしているのを感じる。

もし、赤ちゃんができたとして、彼が一緒に育てられないと言っても、今のじぶんだったらこの場所でみんなに助けてもらいながら育てられるなって思うこともある。

でも、最初からこうだったかっていうとやっぱり違う。

今のパートナーのひととだっていっぱい傷つけあったと思うし、いっぱい嫌な目にもあった。でもそういうネガティブな経験は全部、じぶんが社会に流されて、わかったふりをして納得したふりをして、気持ちがいいふりをしてたから起きたなって思う。

(救いだったのは、彼がバカじゃなかったということだ。よくSNSで流れてくるみたいなAVのマネをしちゃう男のひとでもないし、しっかり会話ができる素敵なひと。たぶんすんごい面倒くさかったと思うけど、逃げずに向き合い続けてくれたおかげで今のじぶんがある。)

わかったフリをしない大事さって全部に言えるんだよなーって今振り返るとすごい思う。

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ふつうなんかどこにもない

性の話も、結婚とか、就職とか、家族との距離感とか、「ふつう」ってファンタジーだから、そんなもの本当はなくて。

ひとつひとつじぶんが考えて、じぶんで答えをだして、じぶんの言葉でそれをひとに説明していくことでしか、じぶんを大切にするってできない。

中途半端にじぶんを納得させて、我慢して、我慢してるのにも気づかないように不感症になって、感じないけど我慢してるから具合悪くして。

そんな風に命を無駄にしちゃだめだって、今すごい思っている。

もしかしたら、こんな生き方うまくいくはずなくて、数年後にはのたれ死んでるかもしれないけれど。。

だけど、あの頃のわたしと、今のわたしが全然違うのは、中途半端にじぶんを納得させたりせずに、まっすぐにじぶんの感情や欲求と向き合って、その本音をひとと交換しながら人間関係をつくりあげ、命からまっすぐに沸く感覚から仕事をして輝いている大人のひとをたくさん知ってるということ。

わたしがかっこいいって思う大人のひとはみんな今の時代ではマイノリティーに属してるけれど、でもきっと、それは目立つだけで、誰のなかにもマイノリティーって潜んでいるんだと思う。

もっとみんながじぶんの言葉で話したら、うんと息がしやすい社会になるんじゃないかって妄想をときどきしてる。

つまり、みんなのなかにあるちょっとした「馴染めなさ」や「生きづらさ」が、次の時代をつくるヒントになっていく。

「これが常識だから」

「みんな守ってるルールだから」

「会社ってこういうものだから」

「組織だから仕方がない」

「そんなことしたら大変なことになるから」

「だってこんなじぶんだし」

そんな言葉を言いたくなったら、そのあとにあえて「でも、本当にそうかな?」って続けてみるようにしてる。

人間の脳みそって素敵にできてて、みたいものをみれるようになっている。

「でも、本当にそうかな?」の目で世の中をみると、意外とそのルールじゃないルールで生きているひともたくさんいて、しかもハッピーそうな気がする。

なんでもいいよ、オールオッケー!っていう感じじゃなくて、ひとつひとつ吟味したい。

このルールってなんのためにできたんだろうとか、より居心地の良い組織ってなんだろうとか、じぶん以外のひとも幸せになる道につながってないかな、とか。

ときどき我慢もする。

でも、じぶんで決めた我慢だったらそれは「抑圧」にはならない。

この辺の感覚はまだ整理しきれていないけれど、何事もじぶんを主語に置いて決めると、ストレスってめっちゃ減るんだなって最近のじぶんの暮らし方みてると思う。

(よく怒ってるひとを注意深く観察すると、そのひとを怒るひとがいることに気づく。怒られているひとは誰かを怒りたくなる、だから褒められてるひとはよくひとを褒めてる、どっちが先かはわからないんだけど。)

ひとつ踏み込んで書くと、ひとをコントロールするのに一番手っ取り早いのは「抑圧」することだと思う。

自由を奪って、ルールをたくさん与えて、自然な欲求が「抑圧」されると、ひとはじぶんが解消できる範囲でそのストレスを解消しようとする。

そしてその解消は、よく目にする情報によってその方法が決定されていく。

たとえばニュースやワイドショーでいっぱい不満を煽られたり不安を煽られたりしたあとのテレビってだいたい通販番組が始まる。

こわい、悲しい、つらい、でもどうすることもできないってなったあと、あ、これだったらできる!って、これがあったら幸せになれる!っていう情報にパッと飛びつかせていっぱいお金を使わせる。

そういう仕組みが世の中にはいっぱいある。

SNSだってそうだよね。

じぶんよりうまくいってそうなひと、キラキラとした情報がいっぱい流れてきたあとに、「なんでじぶんは」「こんなじぶんじゃだめだ」っていう思いが湧いてきて。

もしそこにパッと誰かの記事みたいな広告で「望むあなたになる方法」とか「これを買ったらそうなれます」とか、そういうものがあったら、つい買っちゃうかもしれない。

性の話に戻したら、まずじぶんの本当の欲求はなにか深く深く感じてみてほしい。

男のひとの多くは性欲を煽られすぎているし、それは射精によって解消されるかのように描かれすぎている。

女のひとの多くは架空の「美しさ」「可愛さ」がじぶんの価値であるかのように煽られて、たくさん買わなくてもいいものを買っている。

どんな人生を歩むのもそのひとの自由だけど、わたしはもっともっと社会がたのしいものになるように生きていきたい。

わたしよりも年の小さいひとたちや最近出会っている子どもたち、赤ちゃんたちが、わたしが感じた生きづらさは感じないほうがいいと思っている。

だから、「結婚しないのー?」って聞かれたら「結婚ってなんでするんだろう」って面倒くさい返事をするし、「お化粧しないの?」っていじられたら「なんでお化粧するんだろう?」って返事をする。

シェアハウスを男の子2人としてると話すと「身体の関係にならないの?」と聞かれるけど、それにも「どうしてそうなるの?」と返事をする。

生活空間を分けていないと話すとさらに驚かれるし「こわくないの?」と聞かれることもある。

わたしは、今はわたしが傷つくことを2人はしないことを知っているからこわくないけど、最初はこわかった気持ちもあると素直に話す。

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つくられた枠をひとつひとつ壊していく。

男、女、結婚、就職、進学、服、下着、価値、お金。

いっぱいあるそれらをひとつずつバラバラにして、じぶんの答えをつくっていこう。

そういう気持ちで生きている。

長かった!読んでくださってありがとう!

今思っていることの全部でした。

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