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共同創造としてのセッション

久しぶりのカラーセラピー、気合いを入れて準備をしタクシーに乗って待ち合わせの場所へ。

ああ遅刻してしまった、「もうすぐつくよ」と連絡を入れた瞬間に充電が切れる。

こ・・このタイミングで・・と呆然としつつ、なかなか眠る前に充電器に携帯をさしてから眠るのが習慣化されないじぶんに呆れる。

「お、まだいない、よかったよかった」と店内を見渡したら、由美さんがいた。

こんなこともあるんだなと思いながら、嬉しくてご挨拶をする。

身体ひとつでひとを喜ばせることができる技術を持ち、とても感覚が鋭く、そしてなによりも素晴らしいとリスペクトしているのは、じぶんの感覚を信頼している様子。

ひだまり堂の由美さんは、わたしにとって「信じる」「決める」「動く」の先生であり、一緒に次の時代を今の時代にしていくチームメイトのような存在でもあると思っている。

ぱらぱらと今の現状のシェアや、由美さんに聞きたかった話を聞いていく。

時間をむやみに奪ってしまっていないかと気になりつつ、この用意された時間の完璧さにひれ伏して聞きたいことを聞きたいだけ聞いた。

由美さんとのお話の内容はかいつまむけれど、話しているときにわたしが由美さんのどこに惹かれているかを強く理解した瞬間があった。

キーワードは「嘘」だ。

わたしは由美さんに嘘がつけないのだ、つきたくないのだ。

ただまっすぐに、思っていること考えていること感じていることを言葉にして伝えたいという気持ちになる。

それはきっと由美さんがいつもそうやって生きているということなんだろうと思う。

じぶんの言葉で、じぶんの身につけた知識で、じぶんの身体ができる技術で、じぶんの人生を創造する。

それはある一点で他者と交わり、より大きなものを共同創造することに繋がっていく。

この「共同創造」というのが最近の考え事のキーワードのよう。

持つものから持たないものへ
できるひとからできないひとへ
美しいひとから美しくないひとへ
すごいひとからすごくないひとへ

そういう形の表現はもうしたくないと思っていて、家で同居人のりょーぽんやよーてんと話していても繰り返しそれを認識する。

たとえば、カラーセラピーにしてもそうなのだ。

アドバイスする側とされる側、話をする側と聞く側、そういうのはもう嫌だと思っている。

そのなかで、でもハッキリと、出会うひとと一緒にもっと「豊かさ」の感覚を感じたいという欲求に出会う。

豊かさってブランド物を買えるとか、際限なく外食するとか、そういうちゃっちい豊かさじゃなくて、もっと脈々と流れているこの星としての豊かさだ。

たとえばシェアハウスはとても豊かだ。

帰ってきたら「ただいま」と言える暮らしは豊かだ。

今日こんなことがあったんだよと、わたしは見ていない景色を教えてもらえることも豊かだ。

素直にぽつりぽつりと本音を口から言葉にしていくのも、相手がいるからこそできる豊かな試みだ。

こないだ沖縄の実家みたいになりつつあるぴーちゃん家でウクレレに合わせて歌ったのも豊かだった。

朝起きて陽の光あびながらお家に風が通るあの瞬間も、本当に豊か。

これらの「豊かさ」はわたしにしか価値がなく、ほかのひとにとっても等しく価値のあるものではない、つまりお金やそれに準ずる同一的な価値基準でははかれないものだ。

そこにたぶんこれからのキーワードはあって、そのキーワードを身体的に理解できたときにもっともっと生き物として自然に生きられる気がしている。

だから、これから少し違うセッションができるようになろうと、ここ数週間はいっぱい本を読んだ。オープン・ダイアローグ、認知療法、空間認識、コミュニケーション学、、、。

そして、ちらりほらりと予約をいただき始めた。

決めると現実が動き始める、毎回のことだけどその仕組みに驚いてしまう。

良いものを生み出すんだ。

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