それはさっき突然訪れた ずざーん!
「この飛行機は使用機のチェックのため8時間遅れて20時発となりました」
えぇ~~ビッくらポンだ~~
まあでもLCCだもんな
まわりのお客さんはブチ切れている
静かに舌打ち、もうこの会社は使わない!だのだのいろんな声がしているけれど、不思議かな、スタッフのひとは開き直っていて「とりあえず3階へ〜」と誘導していて、なんだか東南アジアを感じたわけだった
わたしの心はというと、波立つものはあれど、それを超える眠たさで現状把握が精一杯という感じだった
たのしみにしていたイベントはキャンセル、はやく会いたかったあのひとに会えるのも夜中・・・ちーん
とはいえ「目にうつる すべてのことは メッセージ」を採用しているので、心のなかで「うーん、これは一体」と考えていた
とりあえず目の前に置かれた選択肢は
チケットを払い戻す
→他の会社のチケットを買う
飛行機を8時間待つ
→サービス券をもらえる
うーん
手元でぱぱぱと計算できるほど冷静ではなく
他の会社のチケットを調べるも「この値段だと得!?損!?得損!?!?」と、頭のなかは損得勘定でいっぱいいっぱい
そもそも眠いのでwill powerはあっという間に枯渇して、よくわからない間に勝手に口が動きわたしは「飛行機を待つ(サービス券もらう)」を選んでいた
え~~
これは損じゃない?
だってイベントも参加できないし一万払えば別の飛行機で行けてイベントも参加できて大好きなひとにもすぐ会えるじゃん!なぜ!
と
ぶーたれる
でも一方で「いやもう考えるの面倒くさいからいい?」と、ヤンキーのようなわたしもいる
もうなにがなんだかわからないぜ、コーヒー飲みたい・・・と思って、タリーズへ
なんだか誰かの声が聞きたいよーと思って同居人のりょーぽんへ電話
こうこうこうでさー
大変だねー
なんだかまわりがしーんとしているのに気づく、あら声が大きかったようだ
ひんしゅくひんしゅく
慌てて切った
でも、ひとに事態を説明したのが効いたのか、なんだか心が落ち着いてきて
「ま、いっか」
「開き直っていろいろやろう」
と、やりかけていたお仕事やら、送らないといけない書類やら、バタバタと空港のなかでモノを揃えつつこなしていく
本屋さんで目についた本も買ってこれはこれで、ありかと納得しかけながら
用事も済んだし居場所を見つけようと空港のなかのファミレスへ
カフェラテはあいにくなく
でも、店員さんがとても親切にしてくださって、アイスコーヒーにミルクをつけてくださった
フレッシュはペンキだと思っているしアイスコーヒー単体の気分ではなかったので、このお気遣いがとてもうれしく一気に心は華やかに
そのときに
ぶわっ
となった
これが「目にうつる すべてのことは メッセージ」を採用する醍醐味だと思う
この「ぶわっ」のためにそれを採用しているのだと思う
その「ぶわっ」には2つが含まれていた
・損得勘定はもはや破綻している
・わたしからあふれる豊かさよ
の2つ
まず「損得勘定はもはや破綻している」
これは、わかりやすい
文のままだ
詳しくは書かないけれど、わたし今日朝起きてから今までの間どれだけ親切にしてもらっただろうと思って
それにあえて金額をつけていくと
・・・・!?
ってなる額になった
つまり、飛行機を払い戻して~うんぬんかんぬんのたかだか1万円の差額よりとりあえず桁が違った
今、現時点で、すでに
もらっている金額がめっちゃ多かった
そして、気づくのだ・・・損得勘定はナンセンスだ・・・と、かっこわるい・・・と
もらっているものを金額に換算するのがそもそもなんかダサい
「お金」ではかることができない
だって、どの親切もわたしが「わたし」だから頂いたのだ
もしこれがあの舌打ちしてたおじさんとか
ミニスカでマスカラしながら「もうこの会社つかわなーいありえなーい」と株主のように言うお嬢さんや
とりあえず今日出会った「微妙」と思うひとだったら受けられなかった親切かもしれない
たぶんコーヒーにミルクがついてきたのは「あ~なんかまあこれはこれでいいな~」とわたしがのほほんにこにこしていたからなんとなく親切にしたくなったんじゃないか!?と思う
舌打ちして机けっとばしてたらミルクつけるどころか、はよかえれとわたしだったら思うしなぁ(こんな書き方、性格わるいと思うけど。苦笑)
そう思ったら、なんだか
「ありがと~~~!!!!」と
なった
アリーナに叫ぶ歌手の気持ちで
「ありがと~~~!!!!」ってなった
いやまあでもたぶん舌打ちおじさんも株主嬢さんもみんな親切にされてると思うんだけど
便宜上の話ね
ほんで、もう長いのに
読んでくださってありがとうなんだけど
「わたしからあふれる豊かさよ」
これがほぼ同時にわいた「ぶわっ」の中身
それは
なんていうか
うーん
まだ言葉にするのもあやういほど
柔らかいものだけど
あ~いいなぁ~と
わたし23才の暮らしのなかで結局じぶんのいいところって3才の頃のそれだなと思い知ったところがあって
どういうところかというと
じぶんで書くの恥ずかしいけど
ごきげん
率直・感覚的
洞察・観察・言語化
笑わせたがる
(喜ばせたい)
没頭
みたいなキーワードなんだなと、これがバランスよく日常のなかにあると受け取る・放出するが非常にうまく循環し、そこに「豊かさ」が育つ
今日はそれが上手に循環していてなんだかとっても気持ちよく一番上の「ごきげん」が出ていた
(こんな状況なのに)無理して笑ってたわけでも無理してがんばってたわけでもなく
ただ、なんか「ま、いっか~」とぱっと手が動くことひとつひとつやってるうちになんか満たされていたのだ
それに気づいたときがこれまたやっぱり
コーヒーにミルクつけてもらったときだった
「わたし、わたしでよかったなぁ」って、思ったんだよなぁ
ひとつひとつの行動をぱっと思いついたようにぽっとやって
ご機嫌になったり不機嫌になったりいったりきたりしながら、でも、なるべく嘘をつかないでいて
そういうのやってるおかげで肝心なときに不機嫌じゃなくてすむ、傷つけなくていいひとを傷つけないですむ
(傷つけちゃったことがあるからわかること)
結局全部、答えはじぶんのなかにあって、それを上手にほかのひとが揺り動かして「ここに答えあるよ」「このへん答えみたいだよ」とヒントをくれる
日常的な気付きだけではやっぱりちょっと「感受」で終わって行動に結びつかないことが多いのでひとの言葉のほうが気づきやすかったりする
なおかつ、「感受」がどうしても強いので日常のなかでの「かす」みたいなのが溜まりやすい
感受は、経験→栄養と変化するけどその過程で、消化のそれと同じでかすがでる
タイムラグとも言いかえられる、前のじぶんと今のじぶんのギャップ、脱皮したあとの皮ののこりみたいな感じ
だからこれだけ頻度多めにプロの方から身体的なアプローチを受けて流れが滞らないようにきをつけているんだなと思う
うーん
もう少しいろいろ「ぶわっ」のなかに詰まってたけど
とりあえず、ここまで!
読んでくれて、ありがと~