NOW 500→1000

言葉にすることにこだわる意味

声の大きさに関係なく、言葉はそのひと自身を助けます。

じぶんの感じ方を確かめるために。
じぶんの考え事に形を与えるために。
じぶんの意識と出会い直すために。

わたしはわたしの言葉を紡ぎ、あなたはあなたの言葉を紡ぎます。

その色合いの異なりは世界にグラデーションをつくりだし、わたしはそのグラデーションにこの世の価値があると感じています。

わたしの言葉とあなたの言葉は違う。
わたしの言葉とあのひとの言葉は違う。

わたしはわたしの言葉と速度を持って、じぶんの意識を広げていくことが好きです。

前回書いたこの記事も、誰への批判でもなく、また誰かへの称賛でもありません。

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一番言葉に形どれて嬉しかったところはここかな。

見た景色そのままが文章になっているから。

ご縁をいただいて、ある場所にある「聖地」と呼ばれるところを訪ねた。

そこにいるひとは、こんな小さな子どもも、若いひとも、お年寄りも、世界中から集まったいろんな国籍のひとも皆、その場のエネルギーを感じていた。

あるひとは目を閉じて、またあるひとは恋人と笑い合いながら、あるひとは子どもを抱きしめ、あるひとはただ黙って歩いていた。

同じように風を浴び、同じように雪の粒を頬に受け、同じように太陽に身体をあたためられた。

人間が人間である限り、感じられないひとなどいないと思い知る光景であった。

わたしがわたしの意識を認識し、それを形取り、今のじぶんとして理解しやすいように言語に落としていく。

その作業をただ1000回「公開」することを選んでいます。

その行動の根本にある思いもまたグラデーションへの期待と喜びです。

誰かの心に反応が起きたなら、それはそのひとの世界で起きたこと。

本来は、その反応さえも相手に委ねきることが一番シンプル。

でも、そうではなく、またじぶんの心にもその波紋が連鎖するのなら、それはわたしの世界で起きていること。

なぜ、そのひとの様子にそのように心が動くのか、言葉にしたことを後悔するのか、言葉のたりなさを悔いるのか。

それは、ただその相手のひとを好きだということでもあるだろうし、もう一方でじぶんの可能性と出会うからだろうと感じています。

もっと上手に伝えられるようになるはず。

そう思うから、次はこういう風に書いてみよう、この次はこんな風に話してみよう、そういう気持ちが湧くのだろうなと思います。

お金になろうとならなかろうと、仕事にすることを選ぼうと選ばなかろうと、わたしはこうやってわたしをつくりあげていくこと、わたしと出会い直していくことが本当に嬉しい。

そして、その喜びは必ず回り回ってこの社会がより豊かな方向へと進むひとつの波紋の中心になるだろうと、そう信じながら書いています。

読んでくれてありがとう。

最近はなんだか、そういう気持ち。

わざわざ言わなくてもいいのだけれど、そのひとが生きている時間でこれを読んでくれて、そして何かを一瞬でも共有できたなら、わたしにとってそれはとてもハッピーなことです。

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ありがとう。