バスで移動するのが好きだ。
もちろん誰かに「送ろうか?」と乗せてもらえるラッキーさも好きだけど、バスにはバスの良さがある。
一番は、心構えをし終えられるところ。
誰かの助手席で、じぶんに集中することはほとんどない。相手とのコミュニケーションがたのしいから。
反対にバスに乗っていると、ひとりなのだ。
あんなにいくつも椅子があっても、乗ってくるひとはみんな知らないひと、降りる理由も知らないまま、こんにちはとさようならを繰り返す。
今日は宜野湾から那覇空港へ。
おばあちゃんとおじいちゃんが与論島に旅をしたあとに名古屋へと帰るまでの道のり、空港で時間ができたということで。
えっちらおっちらバスに乗り込んだ。
バス停まで歩くのはなんだか難儀で、同居人に送ってもらう。誰かにバス停に送ってもらってそこからどこかへ行くというのは、なんとなく家族感のある行為のように思った。
宜野湾のバス停から空港までは40分しないくらい。
大きな声でポケモンの個体値の話をする高校生の男の子たちを踏み越えて、奥の方の座席を陣取った。
窓の外はくもり。
書き起こしの疲れもあって偏頭痛が少しひどい。うぅ、、と窓にもたれるも、意外に頭のなかはテンダーさんの『わがや電力』の実践をどんな風に発信しようかのアイデア出しで賑やかだ。
どんちゃかどんちゃか考え事を膨らますうちに眠っていたみたい。空港のバス停のひとつ手前のバス停でポトンと手の甲にバスのクーラーの結露のしずくが落ちて起こされた。
その頃には「よし、おじいちゃんとおばあちゃんに会うぞ」という心ができあがっていて、歩くのもるんるんと足取り軽く。
やっぱり島ぞうりはダメだったかなと思いながら、四階のファミレスへ急いだ。
おじいちゃんもおばあちゃんも旅の後だからかよくよく話をしてくれる。あれがこうだったこれはこうだった。2人のやりとりがテンポ良く、なんだかにこにこがとまらない。
わたしは、おじいちゃんとおばあちゃんの孫で本当に良かったと思いつつも、意見が合わない県民投票の話や政治の話で頭痛がぶり返す。
意見なんて合わなくて当たり前なのだ。
戦後何もないところから一生懸命にインフラを整備し、みんなが少しでも良くなるようにと働いてきたひとの役割と、物質的な環境は生まれたときには整っているものの、経済成長優先だった社会のいろんなひずみを感じながら大きくなったわたしの役割とは違う。
意見は合う方が奇跡だろう。
議論に発展させることもしないまま、話は家族の話へと移っていった。まだまだ知らないエピソードがあるんだなと苦笑いしながら聞いた。ただ、おじいちゃんとおばあちゃんが「幸せになりなさい」と、ところどころで伝えてくれるのが嬉しかった。
「ああ楽しい時間だった、ありがとう」
そう言ってもらって、ああよかったと思った。
いつもやっぱり、ちょびっと、わたしは「いい孫」じゃないなぁと思うから、そんな風に思ってくれたなら良かったと思って、別れ際にハグをした。
おばあちゃんとおじいちゃんのことが大好きだ。「げんきでね」とお見送りをした。
そしてまた、今バスに乗って帰り道。
やっぱり頭はまだ痛む。
行きの道より寂しい気もする。
でも、うちに帰れば同居人が待っていて、何かあったかいものでも飲めるだろう。
だから、大丈夫。
血の繋がりと、血の繋がりではない繋がりと。
ひとりだったら生きていけない。
それはカッコ悪いことだとずっと思って、どうしたらひとりで生きられるか追求していたときもあったけど、わたしはひとりでは生きていけない。
それでたぶんいい。それがたぶんいい。
というようなことを、バスに揺られながら思ったよ。
感情の切り替えがひとりでいるからゆっくりになる。やっぱりバス、いいなぁ。
じぶんのペースで思ったことや感じたことを言葉にできるのは、わたしにとってとても幸福なことだ。バスの時間はその幸福にちょうどいいくらいの時間だね。