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火をつける

一生忘れないだろうと思う景色と出会ったときは、いつも映画のなかにいるような気持ちになる。

ちょっとずつ、ちょっとずつ遠くへと移動していく船を見送りながら、ただゆっくりじぶんのなかに潜っていた。

もう顔も見えなくなるくらい船が行ったのを確認して車に乗り込む。

海を埋めるため山を削ったその土を運ぶ車の横、大きな声で終わらない歌をうたいながら走った。

わたしたちはわたしたちなりのやり方で進んでいかなければと隣にいるひとと思いを重ねる。

たくさんのことを惜しみなく教えてくれる上の世代のひとたちがいる。

その意味は、そのひとたちのコピーを目指すためなわけでも、そのひとたちのつくったものの再生産をしていくためでもない。

そんなこと、そのひとたちは1mmだって望んでいやしない。

ただ、わたしたちはわたしたちなりのやり方で次の時代をつくっていくだけなのだ。

 

技術を身に着け、できることをひとつひとつ増やしながら、まだ行き先もおぼろげにしか見えないこの道をつくるため、今日も昨日も明日もある。

そんなことを思いながら、まっすぐ進む。

ドライブの終盤、大きな山と山の間の道を走りながら琉球愛歌をうたう。

「琉球の心、武力使わず自然を愛する」

「誰かのため、明日のため、何かができる」

言葉のもつ力を感じながら、声を重ねて歌をうたう。

 

きっとひとりひとりのひとの人生のなかに同じように物語があるのだろう。

この島やこの山やこの海にも同じように長い長い長い時間をかけて紡がれている物語があるのだろう。

その物語を感じながら生きる時間を重ね、じぶんのストーリーが深まっていくことが、もしかしたら生きる喜びなのかもしれない。

生きていく意味になるのかもしれない。生かされている意味になるのかもしれない。

 

まだ力もなく、技術もなく。

それでもこの数年で在り方はしっかりと固まったから、どのように歩いていけばいいかはもうわかる。

この感覚をコンパスにして、この身体を通してこれからたくさんのものを生み出していく。

 

じぶんの人生のなかの大きなひとつめのブロックを終えたような気がする一週間だった。

ここからはじめよう、もう一度何もできないところからはじめていこう。

10年後には、また違う景色を見ている。

同じ年になったとき、わたしは何を感じどんな風に動いているんだろうって、なんだかちょっとたのしみになった。

って思ったら、隣にいるひとも同じことを考えていて、なんだか笑いが止まらなくなったよ。

 

さ、藤村先生に会いに行くチケットを取ろう。

やりたいことは山積みだ。

ひとつずつ、形にしてみよう。

 

「マッチがあるよ、お嬢さん」

笑って言ってくれたひとに、ニコニコしながら焚き火を見せよう。

わたしの手のひらのなかで生まれた新しい火を見せよう。

 

いつもいつも何かのイベントを終えたあとは、いっぱいありがとうといっぱいのごめんなさいがある。

この感覚はむずむずして気持ち悪いんだけど、じぶんが蒔いたものだもんね。

どん!と胸を叩いて、まっすぐまっすぐ進んでいくよ。

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かっこよかったなぁ。