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「情報の蛇口」を減らそう

情報との距離感が変わった。

一番大きな要因はテンダーさんの言葉だ。

「現代は情報が多すぎる」

「その洪水のなかで意思の力は減っていく」

「力は有限なのでどんどん判断できなくなる」

テンダーさんからそう教わったときに、真っ先にじぶんのすべきことは「情報の蛇口」のコントロールだと思い当たった。

いくつもの情報の蛇口

Facebookや本、youtubeに誰かのツイート、誰かの言葉。シェアハウスでの会話、友だちが読んでいる論文たち、尊敬する洋服屋さんのオーナーとの会話、ボルダリングジムでのお客さんとのやりとり。その他もろもろ。

情報の蛇口はいくつもわたしの世界のなかに存在していて、その蛇口は常時全開、書いているだけで胸が苦しくなるくらいに呼吸しづらい状況を作っている。

情報の蛇口がわたしに向けて開きっぱなしで、そこから与えられる情報を口をあけて待っていると、ゴボゴボゴボボ・・とすぐに溺れてしまう。

ダムの決壊=じぶん世界の崩壊

最初は何もしなくても情報が体に入ってくるので「わ~い楽ちんだ」と喜んでいたのに、いつの間にかその状況に殺されてしまう。情報の洪水に殺されるって、じぶんの脳みその真ん中にある「意志の力」が枯渇するということを意味している。

will powerなんて呼ばれたりもするけれど、人間は何かを選択するときにこの力を使う。朝起きてどの服を着るか決めるのもこの力、コンビニでどの味のおにぎりを買うか選ぶのもこの力、ひとと話すときにどの言葉を選ぶかもこの力によっている気がする。

その力が減ると何が起きるかというか、その情報を制御する力、たとえるならダムの入り口のような、そこが決壊するのだ。どーん。水が溢れ出す。もう溺れるどころの話ではない、世界がわたしが誰かの言葉で埋められてしまうのだ。

欲求をコントロールされる人生

溢れ出された水に押し出されるようにどんどんと選択を人に、外の世界に明け渡してしまう。いつの間にか広告に生活をコントロールされる。あれが欲しいこれが欲しい。なぜ欲しいのかもわからずに、ただそれを欲しがり続けてしまう。

それは必ずしも物欲として現れない、購入欲以外にもたくさんのコントロールにわたしたちの暮らしはさらされている。

恋に愛、結婚に、美醜、セックスや精神の安定、人生の成功や幸せ、いろんなものが「これを手に入れたらそれを手に入れられるよ」方式で目の前に差し出されていく。

そして、呼吸ができなくなりダムも決壊してると、もう何がなんだかわからないまま、差し出されるがまま受け取っていくようになっていく。(こうなりゃ売ってる側はしめたもんだ。実は政治も似てる構造がある。「政治なんか考える余裕がないよ!」って多くのひとが言うけれど、それはどこから始まってるんだろう。)

じぶんでコントロールする生き方

そう、だから、じぶんの世界を外の誰かによってコントロールされないために必要なのは、じぶんの人生を生きるために、この命を生きるために必要なのは「じぶんで情報の量を制御する」がまず第一歩だと感じたのだ。

その感覚は体感として腑に落ちたので、覚悟も決まりも目標もなくすっと行動に反映されていった。知識として摂取したことをルーティーンに落とし込むのはとてもむずかしいけれど、感覚で理解したことの日常への反映はとてもハードルが低い。みんなもそうかな。

情報の蛇口の制御はとっても簡単。

大事にしたい蛇口だけのこして、あとの蛇口はさよならポイポイ、いらない蛇口にはサクッと成仏してもらう。外の世界にはまだその蛇口は存在し続けるけれど、わたしの世界のなかにはそれは「蛇口」として機能しなくなる。

今のわたしにとって大事にしたい蛇口は、藤村先生やテンダーさん、お洋服屋さんのオーナーのような先生たち、ぴーちゃんやシェアハウスの同居人のような仲間たちが最初にある。

そして次に、それぞれの願望の実現に必要な具体的な知識の蛇口、これは本という形で現れたり、youtubeで動画という形で現れたり、いろんな現れ方がある。

今までと違うのは「なんとなくfacebook」とか「なんとなくblog」とか「なんとなく本」が減ったというところ。そこにあったのは、やっぱりこれもまたタバコが吸いたいわけじゃないのに口寂しくて咥えてしまうみたいな、そういう曖昧の欲求からの逃避なのだ。

ちょっとずつ、いい気持ち。

欲求はちゃんと欲求として叶えてあげるというのも合わせてさくっと決めた。

それでどうなったって、今とってもいい気持ちだよ。

誰もわたしの世界の主人にしない。

わたしの人生の主人はわたしなのだ。それが一番世界を愛する方法でもある。それはまた今度言葉にしてみようと思う。

とにかくその感覚のために、この情報の制御っていうのはとってもとっても大事なことだ。どんな人生を歩もうかって悩みにキリはないけれど、どんな人生でもじぶんが最高にOK出してたらあんまりしんどくない。

いつだって「おばあちゃんがどう思うかな」「あのひとはどう思うかな」ってそういうのがストレスになる。

それさえも、おばあちゃんたちとのコミュニケーションのなかでご先祖様に関わることや仕事に関わること、じぶんに必要な言葉だけ「情報」として捉えて、あとは言葉のリズムと思って感情だけを行き来させればいい。

そういうことができるようになった今、本当にとってもいい気持ち。

どんな立場でも、心のなかでは存在として対等に在ること。

間違いはさっくり認めて改めてまた進んでいくこと。

テンダーさんが来てくれてから、わたしはたくさん生きるのがまた楽しくなった。

ヒントをいっぱいくれたテンダーさんのHPのヨホホ研究所、テンダーさん一家が運営してるダイナミックラボ、ぜひ見てみてね。

 

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