誰かを好きになるときに
本当にそのひとを好きになるときと
そのひとのなかの要素を好きになるときと
そのひとのなかのじぶんを好きになるときと
いろいろあるのに気がついた
最近は
好きになるひとが、今のじぶんよりも少し遠くにいるようで、なんだかちょっと切ないものが続いている
どれも、そのひとのなかに見るじぶんの未来に恋をしているのを、わたしはよく、よく知っている
一方で、同時進行にどうしようもなく情けないわたしそのものを愛していく道のりも続く
同じようにまわりのひとの素敵なところも嫌なところにも少しずつ愛を深めていく
なぜなぜどうして
わたしは本当の本当のところでは
じぶんしか愛していないのだろうと思う
まわりのひとへの愛が深まるのは、そのひととの間に育つ関係への愛なのだろう
わたしはわたしが知覚できる全てしか愛せないのだろうとも思う
わからないことを頭ごなしに愛するのはむずかしい
だけれども
なぜだかどうして、今のわたしのなかにはなくて、たまらなく欲しくなるような、そういうところを見つける切ない恋によって、わたしはまた器を広げてもらうのだ
わからないが気になるに変わり、いつの間にか、わかるに変わる
それはわたしがわたしに出会うための恋だから、相手に伝えることもなければ、相手との関係を望むことも少ない
恋をするたび、わたしはこの世界をもっと好きになる
そしてついでにじぶんのことも好きになる
こんな風に、毎日ゆっくりじんわりきっぱりと、もっともっとわたしはわたしと生きていきたい
とはいえ、ときどき、この恋の先の関係を望みかけて寂しくなることもある
でも、本当に望んでいるかというと違うのだ
その欲求は口寂しさに本質的には求めていないタバコを咥えるのと同じこと
いつか、同じようにじぶんと向き合い続けたひとと隣を歩けたらと思うこともある
だけど、その考え事はなんだかあまり好みの考え事じゃないので、特に深めない
わたしにはわたしの恋があり
わたしにはわたしの愛がある
それはとても、面倒なようで、とても大切にしたい感覚だと思っているよ
同じように、あなたのその感覚も大事なことなのだと思う夜
今日は新月
空っぽになった胸を月が満ちていくのとともに、ゆっくりゆっくり満たしていこう