沖縄を離れて、東京に来た。
東京で生まれ育ったはずなのに、20分も電車に乗ればクラクラとするし、ビルのなかに3時間いたら膝がふるふるとした。
ビルというのは外から見るとちょっとカッコいいけど、なかに入るとひどく乾いていて、天井がだんだんと下がってくるような感覚を持つので苦手だ。
明日戻れることにホッとしているし、まだしばらくは沖縄に住んでいたいと気持ちが固まった。
(でも、大切にしたいときに大切にしたいひとを大切にするために、月の半分はこっちで、とかはありかもしれない。)
こちらに来ると、沖縄にいるときも「仕事」だとか「階級」だとか「所属」だとかそういうことに視線がいくような気がする。
でもその度に心を決める。
そのひとがどんな仕事をしていても、そのひと自身の価値は変わらない。
そのひとがどんな思想を持っていても、そのひと自身の価値は変わらない。
そのひとがそのひとで在る価値というのは、唯一無二であり、価値などという言葉を本当は使うことも許されないくらいに神聖なものだと思う。
ずっと「好きなことを仕事に」ということに執着していた。大学の後半くらいからだ。じぶんが苦手なことだとほとほと身体を悪くすると認識しだした頃だった。
ブログもいわばそのために始めただろうし、書き起こしのお仕事も「場所」に縛られないという点でもう3年近く続いている。
もっと企画力や戦略性、経営視点みたいなものが欲しくて個人オーナーのカフェでも働いた。11ヶ月続くなかで今度は「企画は好きだが、週58時間勤務は無理だ」と知る。
無理なものは無理でトイレでよく泣いていた。それも、カフェの仕事が終わってから洋服屋さんで働かせていただくなかで「好きなタイミングで少ない時間働くのは好きだ」と知る。
だけど、こういう試行錯誤のなかで一番、本当に心の底からわかったことはやっぱり、ひと本来の価値のようなところだった。
そのひとがどんな仕事をしていても、そのひと自身の価値は変わらない。
そのひとがどんな思想を持っていても、そのひと自身の価値は変わらない。
生きているだけで、生きていてくれるだけで、それだけでいい。それが本当のことなんだとよくわかるようになった。
それはきっと、お仕事がうまくいっているときもうまくいっていないときも、誰かに優しくできるときもできないときも、有限実行できるときもできないときも、変わらずにそのままを大切にしてくれるひとたちに囲まれていたことが大きいんだろう。
あわせてこの数年で出会った小さなひとたちが、いつ再会しても、そのときのわたしのコンディションに関わらず変わらない愛情を示してくれたこともあるんだろう。
そのひとがどんな仕事をしていても、そのひと自身の価値は変わらない。
そのひとがどんな思想を持っていても、そのひと自身の価値は変わらない。
やりたいことをやれていても、やりたくないことをやっていても、そのひと自身の価値はなにもなにもなにもなにも変わらない。
ただ、ひとつだけ。
ひとつだけ加えるのだとしたら、そのひとがそのひとらしく息をしていてくれるとなお嬉しい。
働くために生まれてきたわけでも、誰かの顔色を伺うために生まれてきたわけでもない。
毎日を我慢しながら誰かに虐げられながら生きるために生まれてきたわけじゃない。
でもそれは、「やりたいことだけをやる人生」を発信したいから出てくる言葉じゃない。
やりたくないことに押しつぶされないでと、そう思うだけだ。
こんなにたくさん仕事があるんだ、こんなにたくさんのひとが生きているんだ、こんなにたくさんの場所があるんだ。
ここがだめでも、どこかは合うかもしれない。合わなかったところのなかにもヒントは隠れているかもしれない。
大切なひとが、息を潜めて、胸が潰れそうになりながら生きていく社会なんて嫌だ。
どのひとも、どんなひとも、絶対にその権利を持っている。
心からやすらいで息を吸うことができる、日常の24時間はまだ無理でもほとんどの時間を心を痛めずに過ごすことができる。
その権利を持っている。その権利が認められるほどには、もう社会は、技術は、ひとびとは成熟しているはずだ。
やりたいことなんて見つからなくていい、ただ健やかでいてくれたらいい。じぶんを殺すことを当たり前にしないでほしい。
でも、まだ、それを、ちゃんと伝えられる経験をわたしは持っていない、今もその道の途中なのだ。
だからもっと、もっと、もっと、もっとちゃんと伝えられるひとになりたいと思う。
そのために、もっともっともっと、もっと幸せになろうと思った。