ふと人の顔が浮かんで離れなくなるときがある。
連絡をする、スムーズに会える。
とても嬉しい気持ちになる。
「会いたい」と思い、それを我慢せずに言葉にできる、そして会いに来てもらえること。
その関係でいられる。それって実はとってもすごいんだなと、年が明けて「誰かに会いたい」としばらく思わなくなっていたじぶんが静かに喜んでいるのを驚きながら眺めていた。
誰でもいいわけではなくて、そのひとではないとだめ。そのひとにとっても、じぶんがピンとくる存在でないと、そうやってばったり出会うってなかなかできない。
出会いは連鎖のように連なって、嬉しい再会にまで恵まれた。
そしてやっぱり意味のない「ピン」もない。
今日は上弦の月。
月の満ち欠けのタイミングや、そのときの天体の様子は確実にじぶんに影響を及ぼしているんだなと思う。
今日の月のテーマは「異次元と接続する」ということだったそう。
下のリンクを読むとなおさら、理解が進む。
今の状態、この状況、そして数日前の体調不良の原因も、そういうことだったのかーと合点がいく。
おひつじ座 上弦の月 異次元との接続 超越ポイント | ルミナ山下 オフィシャルブログ「天空からのソウルメッセージ 今日の宙模様」Powered by Ameba
1/11
久しぶりに食べていたもの全部もどしてしまった。目が痛くなり、それから頭が痛くなり。どんどん低くなる体温のおかげでふるふる震えて、涙が勝手につーつーと。
悲しくって切なくって一体どうしちゃったんだとパニック。
でもウイルスだという感覚がなくて(発熱もなかったからだと思う)
なにか気持ちのせいだなと思って、じぶんのなかに泣きながら潜ってスキャン。
あ~~。
これがやめたかったんだと気づくものとぶち当たる。
え~~。
こんなことでここまで体調崩すの?と呆れてしまう。
化繊がかゆくなるようになってしまったのも。たばこの煙を嫌いになったのも。週5日8時間で働こうとすると途中で泣いてしまうのも。苦手だと思ったひとを前にして、笑顔さえつくれなくなったのも。これはもう食べたくないと、一口食べたあと最後まで食べれないことが増えたのも。
全部じぶんでどうしたらいいかわからない時期が続いていた。どうでもいいと感じないふりをしたり、なんでこんなこと思うんだ!と逆ギレしてみたり。
去年の後半ぐらいからそれは始まっていて、「このままじゃ社会的な生き物として暮らせない」と危機感をずっと感じていた。
なんとかバランスを取りたくて、誰とあっても「バランスのとり方がわからない」と相談していたような気がする。
右脳と左脳
男性性と女性性
創造と破壊
社会性と内にこもる時間
言葉はなんでもかんでもどうでもいいんだけれど、身体の内側に内包している対極をどのように扱えばいいかわからなくて、気持ちが波立つことが多かった。
違うものと違うものがぶつかれば対流が起きるのは当たり前だったけれど、そのときはよくわかっていなかったし、なかなか対流のエネルギーは利用するのが難しい。
でも次第に無視できないくらいに波は大きくなっていって、その波によって起きる行動に混乱するようになった。
化繊のブラジャーはつけていたら途中で我慢できなくて外してしまうし、寝てるときにパンツは脱ぎたくなるし。食べたくて食べたくて買ったプリンは一口食べたらもういいってだめにしてしまう。求人雑誌なんて見たくもないし、大好きだしありがたいと思っていた在宅でできるお仕事さえ蕁麻疹が出るように。
一体全体どうしたいのと、イヤイヤ期の子どもの前途方にくれるお母さんみたいになってたよ。
でも結局は、対極とされる点のそれぞれがある閾値に達して、矛盾を内包するのではなくそのときどきの点を最大化させて生きる段階になったということだと受け入れることにした。
まだ偉くもないしスペシャリストでもないしそんな贅沢言える立場かよって思うじぶんもまだどこかいるけれど、とりあえず観念しようと思った。
それが今日だった。
すばらしく力が抜けている、それでいて空気は淀んでおらず、凛とした目をしているひとを目の前にして。
ああ観念しようと思った。
もうどうなるかもわからないけれど、「わたしで在る」ことがどういうことなのかもわからないし、敏感になっていくことをひたすらウザく感じていたけれど、もうしょうがないと諦めることにした。
こうじゃないと何かできないことがあるんだろう。何もなくてもそうやってしか生きられないんだろう。
もう観念するしかないのだ。
やりたくないことやり続けていたら引くぐらい体調崩すんだなとしっかり理解して、やりたいことをチョイスしていくしかない。
どう克服するかなんて考えても、たぶん無駄だ。この数年あの手この手で試してきたもの。
陰極まって陽になる。
求めよさらば与えられん。
ひとつの点を最大化させて、その瞬間その瞬間のテンションに合わせて最適に生きる。
そんな暮らしをどうデザインしたらいいのか、そのアイデアは本当に今のじぶんにはないのだけれど。
でも、もうどうしようもないので、しばらくは「ああやっと観念したのだな」と思いながらゆっくり目の前の仕事をしよう。
次の波が来るのを待つのだ。ただ、待つのだ。
とにもかくにも、今はやっといい気待ち。
たのしく生きよう。
それを体現したくて、生きている。