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「悩む」に溺れず、「考える」をたのしむ

家族、他人、友人、恋人、先生、生徒、師匠、弟子

この世には様々な人間関係がある

それにはそれぞれ便宜上の名前がつけられている

そこに意味はほとんどないのだけれども、名前がつけられるとその言葉はその意味に引っ張られるようにして境界をつくりだす

あなたとわたしの間にある境界のほとんどは言葉によって与えられ、その言葉に重たさを与えるのは集合的な意識がつくりだす”架空”の意味だ

すべての物事にはレイヤーが細かく存在している

どのレイヤーに意識のポイント、出発点と到着点をどこに置くかはそのひと自身に委ねられ、何者もそれに対して影響を及ぼすことはできない

出発点と到着点の距離の長さは必要となるエネルギー量の多さに比例する

 

たとえば、家族それ自体の意味を見てみよう。

家族、血の繋がりのある人、そうではない存在である他人と区別するための言葉、チームという意味で用いる場合もある。

とても文章で書き表すのは難しいのだけれど、上に書いたことは意味の”側面”でありレイヤーではない。

レイヤーで見てみると、家族から抽出できるデータは3つあるように思う。

① 血筋から見るじぶんの役割・特性・使命
② 地域性からみるキャラクター的特徴
③ ライフスタイルからみる好みの生活様式

ちなみにあまり重要ではないレイヤーには、人間関係で陥りやすい問題の傾向や、容姿にまつわるストーリーなどがある。

多くのひとが今日も囚われているけれども、これについてはある種逆説的ではあるが「家族なんてそんなもん」っていう感じのテンションで割り切って生活し、一旦外の人間関係に埋没し、愛を見つけることが解決の近道だろうと思っている。

愛を見つけたひとはその視点をじぶんのなかに保ち続けることができる。

その目をじぶんの内に持ったまま相手を見れば、物心ついたときから燃やし続けた憎しみも、外での関わりの間に見に付けた愛の本質によって、とうの昔に実は消えていたことに気づくのではないだろうか。

過去というデータはすべて今の時点からの解釈で内容がばったんばったん変わるので当てにしないに限る。

それに家族は小さな箱のなかにジェネレーション、つまり波長が非常に異なる玉がいくつも入っているようなものだ。

お互いにぶつかればサイズも違えば重たさも異なるのでときに不協和音が出ることは仕方がないこと。

必要なのはそれぞれの時代に共通する「人間とはなにか」というものに対するおぼろげな答え、あとはどのような異文化であれ共に生きることは可能だと信じ、大まかに諦め、大まかに希望を持つことのような気がする。面倒だったらその箱、つまり家を出て、必要なタイミングだけ顔を合わせればいい。

繰り返しになるがどのレイヤーにアクセスするかは、そのひと本人に委ねられている。(と、わたしは信じている。)

 

さて、大切なのはレイヤーで分けたあと、どの点に出発点と到達点を置くかだ。

ここを意識するだけで「悩みに溺れる」ことを趣味にしてしまう危険性から解放される。とっても危険だ。ドラッグみたいなものだ。

悩むという行為は一見エネルギーをつかうので、現実世界には変化が起きないのに内面は変に充足するおかしな行為な気がする。

大切なのは悩まずに考えること、そして大切に考えるためには点を起き制限を作り出すこと。

どこまでも続く風景を前に国境を探すのは難しいけれど、山と山その間には谷があり川が流れその川を境目にして分かれていたら国境を見つけるのは簡単だ。

 

では実際に点を置いてみる。

まずはレイヤーを選択しよう。

① 血筋から見るじぶんの役割・特性・使命
② 地域性からみるキャラクター的特徴
③ ライフスタイルからみる好みの生活様式

レイヤーを選択する際に重要なのは、考え事のテーマ、タイトルだ。

良い論文はそのタイトルを見て内容の内容がすぐ分かる。それと同じように考え事にも簡潔なタイトルが必要だ。

タイトルはすなわちテーマであり、テーマはすなわちタイトルになっていなければならない。当たり前の話だけど。

 

データを検索する目的がデータに溺れるためなわけがないのだから、ここで検索したいテーマは「家族」以外だ。

しかし、隣接する面がなければこのデータにはアクセスしないので「家族」に関連したテーマではある。

なんだかしらけるけれど、わたしがよく検索するものをあげるとしたら「なぜ生まれてきたか」「どのように生きていきたいか」などがそれに当てはまる。

このテーマに当てはまるのは①の「 血筋から見るじぶんの役割・特性・使命」という点だろう。

また「じぶんとはどういう人間か」「どのような傾向があるか」については①を見た上で②「地域性からみるキャラクター的特徴」で補完するのがいいかもしれない。

そして「どのようなチームが居心地がいいか」「親しいひととどのように暮らすか」「理想の暮らし方は」などといった生活に関わることは無論①と②も多いに関連するが③がそのまま答えになる場合が多いはずだ。

 

レイヤーからレイヤーへ通関するように考え事の出発点と到達点を置くことは非常に面白いし有意義かもしれない。最も早く答えを出したいときはこの方法を使っている。

ひとつのレイヤーのなかで時間軸を用いたり空間軸を用いて考え事を進めるのもたのしい。これはその考え事に深みを持たしたい場合に有効だ。

 

なんにせよ、思い悩むのではなく考える、そしてその考えたことに即してスパッと行動をして、スパッと行動ができないことについてはまた考えて、と、日常のなかでたのしく考え事をするのが好きだ。

 

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「考え事」すらもある意味では無意味で、それを自動化できるひともいるんだろうけど。わたしはどちらかというと「悩む」に陥りやすい弱さを持った人間だから、こうやって考えているんだろうなと思う。考えることにこだわっているといえばそう。

岩に登る前も、その一瞬で岩に登るかどうかを計算して答えを出し、海に浮かぶ前もその一瞬で実は答えを出している。

その答えの先で失敗しようと成功しようと、何よりもまず答えに従って行動を起こしたという点で、じぶんとの結びが強まるような気がする。

考え事は、その先にある行動のための考え事であって、考え事が目的ではない。

岩に登ったあとに岩に登ったせいで痛い思いをしようと、岩に登るかどうか考えて岩に登ると決め、登れたのだからそれでまるなのだ。

岩に登らないと決めたのならまたそれもよし。大切なのは悩みに溺れることなく、じぶん以外のひとを主語にすることなく、全身を信頼してきっぱりと答えに沿って進むことだ、今はそういう気持ち。