NOW 500→1000

「結婚したい」の終わり

手を繋ぎたいときには手を繋げて

話をしたいときには話しかけることができる

黙りたいときには口を閉じていられて

ただ触れたいときには触れられる

頭を撫でてほしいときは撫でてと頼めて

泣きたいときには泣いてしまえる

笑いたいときには心置きなく笑えて

ただ眠りたいときは隣で寝そべることができる

少し前の数日間の暮らしが本当に幸福だったなと、ときどき思い出している。

パートナーという名称も最早あまりしっくりこない、ともに過ごす間、その存在がわたしを自由にし、満たし、不必要なものを流してくれる。

これから先も一緒にいられるだろうか、なぜ好きになったんだろうか、そんなことも考え尽くせたのか、もう何も考えなくなった。

一緒に暮らせるタイミングがあるのならそうなるだろうし、そうしたいと思ったらそのときそうしたらいいだけのこと。

あんまりにも好きで、隣にいるとき本当に居心地がよく、じぶんがあんまりにもそのままでいられることにときどき我に帰って驚いたりする。

隣にいると幸福を強く感じるので「ああずっと一緒にいたいな」と思う、その気持ちは今すぐ叶えるとなるといろいろと面倒になるから厄介だけど、本当にそうしたいならそのように動こうと決めて見つめる。

そのように勇気を持って見つめると、すーっと波が落ち着いていき、彼と分かれて暮らしに戻ったらあれをしようこれをしようと考えてワクワクしているじぶんと出会う。

なんだかんだで最適な形をとれているのだ。1ヶ月に一度会えて数日をともにする。これはとても良いリズム。

ホテルでも、相手のお家でも、どこでも、一緒にいる時間はゆっくり流れて、そのどこを切り取っても幸福にあふれている。

f:id:pidakaparuna:20181230095603j:image

数年前は「子どもが欲しい」と思い、去年から今年の中頃までは「結婚したい」と思っていた。

真剣に考えたし、何回も彼と話をしたように思う。「なんで?」「どうして?」と繰り返す目の前の人に対してイライラが爆発することもあった。今振り返れば単なる八つ当たりである。

本当はシンプルな一緒にいたいという気持ちが、どうしたらずっと一緒にいられるだろうか?という人間の恒常性丸出しな打算と、じぶんが何者であるかがまだわからなかった頃だったので役割を欲する気持ちもあり、それらの現れとして「結婚したい」「子どもが欲しい」があった。

今はどちらも思わない。制度として結婚というのは今の収入としては得しそうだとか別の打算はあれど、、、

子どもについては、そんな気持ちで産んだとて、生まれてくるのがじぶんの子だと思うと、そんな思いで産んだのを見透かされるだろうなと思い、いたたまれなくなった。

あなたに会いたい、という気持ちで授かり、この世に迎えたい。そのタイミングがくるかどうかはまだわからない。

f:id:pidakaparuna:20181230100750j:image

大学一年、18歳の頃からそばにいてくれて、体操部にいたことも、どんな気持ちで勉強をしていたかも、家族のいろいろも、そういう人間としての面倒なところをすべて共有しているひとというのは、あまり多くない。

共通言語が多いのでコミュニケーションにあまり困らない。では、そのおかげで他の人といるときよりもより本質でいることに繋がっているかといわれるとそうではない。

本質であるというのは無防備だ。彼といるときわたしは本当に防御がないと思う、思った通りに言い、触れたいときに触れ、泣きたいときに泣き笑いたいときに笑う。

でも、それを今人間関係のあるひとみんなにできるかというと、それをしたら社会的な人物としては生きられなくなると思っているので、できない。

防御というと聞こえは悪いけれど壁を作っているわけではなくて、お互いが心地よい距離をとってコミュニケーションをしているイメージだ。

ふだんのその距離でさえ、ときおり「距離が近い」とか、挙げ句の果てには(好意があると)勘違いさせて嫌なやつだと言われたこともあるのだから、"防御"のない状態のじぶんなどとんでもない存在なのだろうと思っている。

とはいえ、実はどんな状態、距離感でひととともにあっても、本質であることにはトライできる。身体的には真ん中をイメージして、縦と横と斜めの線をぴっ!と脳のど真ん中、お腹のど真ん中、第1チャクラのとこをあわせる感じ。

心としては、ふっと力を抜いてぼーっとする感じ、そうするとぐっと握っていた思い込みとか、じぶんの大切にしたい価値観にこだわらずに、目の前の人と話ができる。

これは、本質であろうとしながらも、じぶんの内側で本質になっているだけなので、他の人にはバレない。気を緩めるのともまた違うので、彼と一緒にいるときの赤ちゃんみたいな状態とも違う。

バランスをとる必要があるのは非常にわずらわしいことだけれど、それでもやっぱりあの数日間のような幸福と、彼以外の人と過ごす時間の幸福と、どちらもがじぶんにとって大切な時間なのだと、ただ思う。

彼といるときだけが人生の全てだったらたぶん退屈してしまう、では彼のような人がいない人生はというと、たぶん耐えられない。

その証拠にというわけではないけれど、やっぱりお家に帰るとホッとするじぶんがいて、一緒に暮らしている二人の顔を見ると嬉しいのだ。

f:id:pidakaparuna:20181230100820j:image

彼じゃないとダメなのか、彼以外にそういうひとはできないのか、についてはまだわからない。今のところは兆しもないし、彼が特別になればなるほど、まわりのひともまた特別な存在になっていくのは、なかなか良い循環だと思う。