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ワカゲノイタリ感で生きる

ふざけている。

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ふざけるって、いい言葉だ。

ふざけるな!

って怒られても、ふざけてるんだから笑ってしまう。

当たり前のこと。

議論にならない。

あ、でも、少し思うのだ。

議論にならないってある意味でとても強いんじゃないか。

じぶんのなかで、ベストを尽くしながら、でも他のひとみたいにはどうしても動けないのでときどきじぶんに対して「ふざけてるの!?」ってなるときがあって。

そのときに、「はい、ふざけています」って言ったら、なんかじぶんのなかの全部のじぶんが、ズコー!!ってなった気がしたよ。

ふざけるって、なんでもかんでも面白がるとか、気をぬくとかとは違う、脱力してたのしむ、という意味がある気がする。

ふざける。

数日前に、「あなたがあなたらしくたのしんでるだけで、まわりのひとは嬉しいよ」というようなことを言ってもらった。

おぉー〜と思った。

わたしはじぶんのことをなかなか良い人間だと思えなかった時期が長かったので、おじいちゃんに「お前は立派になろうとしなくていいんだよ」と言われて泣いたことがあるのを思い出した。

つまり、いつもわたしは立派じゃない、生産性の低い人間だって思っていたんだね。

でも、ぢんさんと出会った3年前からちょっとずつ「やりたいことをやる、やめたいことをやめる」をやっていくなかで、だんだん認識が変わっていったのだ。

「好きなこと」だけして生きていく。

で、なにが一番言いたいかというと、やっぱりどんなひとも「ああ幸せだ」と本人が思ってたらそれが一番最強だ、という話だった。

ふざけててよくて、誰かの議論の土俵にあがらなくてよくて、フリーランスか会社員か高卒か大卒か主婦かシングルマザーかとかなんでもよくて、どうやって生きたいのかだけがシンプルに大事なこと。

わたしもそう、どんな生き方を選んでもよくて、誰かの批判を想像するフリをしてじぶんを疑うんじゃなく、よしやってみよー!って言えるワカゲノイタリ感が大事なのだ。

そのうえで

そのうえで、あれ?どうしてこの権利がわたし認められていないんだ?こうやって生きたいのに、その舞台が整わないのってこれそもそも社会の仕組みのせいじゃない?って思ったら。

思ったら、みんなに話してみたらよくて、それは「わたしこんなに大変なんです」じゃなくて「こういう困りごと、あなたもある?」という風に話す。

そうして、人数がある程度集まって、あれこれやっぱりなにか社会的なグループ、カテゴリーを感じるぞってなったら、それは社会の制度がアップデートするためのチャンス!でしかない、喜ぶ人は他にも大勢いるから声をあげるのだ、えいえいおー!!

きっとこうやって、社会って変わっていくんだな。

もっと真面目に!とか、おまえは知識が足りないんだよ!とかいう批判は少し横に置いておいて、「ふざけよう」という自覚のもとに超自己中にじぶんについて考察を深めると、掘ったら掘ったら掘ったらやがてまた社会に帰ってくる気がするんだ。

で、ふざけながら、超軽やかに、思いついたこと片っ端から試して、今よりちょっと楽しい社会になるように動いてみるのがいいんじゃないかなって。

辺野古行ってから数日社会ってと頭を悩ましながら、仕事ってとちゃんとできないじぶんを殴りながら、今朝ようやく目が覚めて、あ、そっか、ふざけよう、誰かに判断を委ねないでじぶんだけの土俵に立とうって思えたので、書き出してみたよ。

ふざけるのだ!本気でマッパで生きるのだ!

えいえいおー!