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つぶつぶに関する身体的感覚と考察

今日の朝は朝日がとても柔らかく、太陽が昇れば昇るほど光に身体を包まれていくようだった。

何色とも形容しがたい、黄金のつぶつぶ。

光を浴びたり、水と触れたりするとき「わたしもつぶつぶなんだよな」というのを思い出す。

わたしも、あなたも。

人間も海も山も、ほかの生き物も、鉱物も、みんなつぶつぶなんだよな。

そして、このつぶつぶのみそは「存在と存在の間には明確な境目がない」ということ。

ひと間の話では、握手とかハグとかするとわかりやすい、ああわたしたちはつぶつぶなんだな、と思う。

好きな人とハグをするとき、少し元気のないあの人とハグをするとき、だれかから愛をもらうハグをするとき。

ゆっくりとそのひととの境目が曖昧になるのを感じると「つぶつぶ」の感覚が訪れる。

お互いのエネルギー、お互いの存在が微妙に混ざり合うのだ。ゆっくり、ゆっくりと。

その色合いの変化はまさしく今朝の朝日とわたしとの交流のよう。そのひとの幸運とそのひとの幸運が混ざり、より大きな幸運になるのが見える気がすることもある。

もちろんつぶつぶの調子が違いすぎる人とはまだこちらの準備が整わずハグができないときもある。

コンディションが悪くてギザギザしているときは、それを渡したくなくてしないときもある。

そんなときは握手をする。

握手でもらうつぶつぶは前腕より奥には入らないような気がするから。それでも強いものも、手を洗ったらおしまいになるし、ハグに比べて気楽だ。

握手もハグも強ければいいわけじゃない、相手を思いやって、でも意思を示せるくらいの強さで手を握り、抱きしめる。

ハグも握手も、つぶつぶの交換なので、お互いに相手の情報がそれぞれの身体に残る。

そうすると必要なとき、必要なタイミングで再会できる。食べ物や場所と同じで、ひとも薬なのだ。

とんとんとんと、そのひとに会う日が決まったり、そのひとのくれた言葉を思い出したり、未来のどこかでわたしを助けてくれる。

握手のほうが持続しない、多くのつぶつぶを自然に交換する、交流が起きるハグと違って、握手は多くの場合意図的だ。相手がどんなつぶつぶなのか知るためにも握手は使える、だからだと思う、効果は限定的になる。

わかりあえなくてもいい、目指す方向が違くてもいい、一緒に歩めなくてもいい。

表面の心や口先だけの言葉ではなく、本当の意味でお互いの存在をただ認め合う、その第一歩はやっぱりつぶつぶの交換かなーとぼんやり考えているよ。

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もう少し明確に認識できるようになったら、遠くの誰かにテレパシーみたいに信号を送れるようになりそうだよね。