誰かとじぶんの間に線を引く
その線からは何も生まれないと知りながら
でも、あまりにも違いすぎるから
今のじぶんを守らなくてはと、線を引く
わたしとあなたの間に線を引く
あなたの時代とわたしの時代は違うから
その差は埋められるはずないと
そう感じてしまうから、線を引く
あの子とわたしの間に線を引く
話してくれた理想が今と繋がっていないから
このひとは仲間じゃないなと
心のなかで判断をして、線を引く
あのひととわたしの間にも線を引く
背の高いあなたの横に、背の低いわたしは
なんだか不釣り合いで歩けないからと
ひとり諦めて、線を引く
勝手に引いた最初の線はひどくかぼそいものだったのに、今ではこんなに深い溝になる。
理解するつもりがないのに、理解してもらえないから言葉にするのを諦める。
その先にあるのは、他人との関係の縮小ではなく、本当はじぶんの関係との縮小なのではないかと思う。
縮小は意図的に行うのなら悪いことではない、範囲を縮めて、より深く誰かを大切にし、より広くじぶんを大切にできるのかもしれない。
大切なのはきっと、最初は溝は線だったこと、そしてその線を引くと決めたのはじぶんで、それはたいていじぶんを守るために必要だったことを覚えておくことかもしれない。
小さな犬がよく吠えるように、トラウマのある犬がよく吠えるように。
でももし人間関係が退屈でどこか薄っぺらいと感じるのなら、ぬるぬるとした分厚いベールをさらりと脱いで、ただそのまま目の前の人を抱きしめる勇気を、持ちたいし持っていたいとわたしは思う。
どんな差別もどんな暴力も、起点はじぶんにあると思うから、でもその方法を選ばなくてもわたしはじぶんを守れるのだから。