心にトゲがちくっと刺さる
刺さったままのそれは、身体を動かすとズキズキと痛む
見ないふりも、感じないふりもできるのだけれど、ズキズキはなくならない
そのトゲはたいてい、誰かの一言によって心に刺される
でも、本当は、そうじゃなくて
本当は、誰かの一言で思い出した、じぶんのじぶんへの評価だったり、気持ちだったり、言葉だったりするのだ
ただ、それを思い出してしまって、この世でたったひとり、最初から最後まで一緒に生きて、年を重ねて、ともに朽ち果てる「じぶん」を愛せないわたしを思い出してしまって
それが本当の、本当のトゲの正体なのだろう
「あの子がかわいい」
ただ、それだけの一言でわたしはこんなに苛立されて、そのあとこんなに悲しくなって、すべてに投げやりな気持ちになって、枕を壁に投げつけたり、地面が少し凹むくらいには地団駄を踏みたくなる
わたしは、わたしの平べったい顔も、あまりよく膨らみきらなかった胸も、ラートを頑張っていたらいつの間にか強くなってしまった腕も、やっぱりあんまり良いと思っていないんだろう
だから、誰かが「あの子がかわいい」と言った一言が、何色でもないその言葉が、まるで「あなたはかわいくない」という言葉に聞こえるのだろう
わたしはあの子にはなれないと、布団にそのままダイブして毛布のなかにくるまって鎖国を宣言したい気持ちになるんだろう
でも
わたしはよくよく知っているのだ
この世に「じぶん」しか、最後まで隣にいてくれるひとがいないことも、それがとても喜ばしいことも
そして、その「じぶん」が、わたしが「じぶん」の形や中身にケチをつけるたびに、ごめんごめんよと小さくなっていってしまっていることを
だからやっぱり
もう、やめようと思う
「あの子がかわいい」は「あなたはかわいくない」ではなくて、そもそも、わたしがかわいかろうと、かわいくなかろうと、生まれてきた目的は果たせるのだから
わたしが生まれてきた理由は、ただひとつ
じぶんとして生きるためなのだから
だから、もうやめよう
わたしと「じぶん」
もう一歩近づいて、もうちょっとだけ近くで一緒に年をとろう
しわくちゃになっても、シミだらけになっても、押したら倒れるくらい骨骨になっても、ぶよんぶよんに太っても
笑って「それもわたしだ」と言えるじぶんで生きていこう
こうやって落ち着いて気持ちを眺めて、誰かに話を聞いてもらったりしてさらに磨きをかけて、トゲのささっていたところがなめらかになる頃には、わたしはもう、元通り
いや、元よりまたちょっと、「じぶんを生きる」ができるわたしになって
そのトゲが刺さる前よりも、ちょびっと強くなっているような、そんな風に思うよ