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瞬時に事例化が起きる気持ち悪さ

ひとの人生のなかで起きている出来事、しかも大きな出来事について、瞬時にあたかも事例のように捉えられるのは、SNSやインターネット上でのコミュニケーションの弊害だなと思いながら、画面を眺めている。

でも、会話をしているときに、書き起こしの癖で一時停止のショートカットキーを押したくなることがあるように、オンライン上での行動は、オフラインのときにもきっちり影響を与えることも知っている。

だから、この瞬時に"事例化"できてしまう力、大量の無意識的なインプットがもたらすものについて、今はじめて、しかもすごい不快感とともに考える。

「~~~に気をつけようと思いました。」

「~~~が大切だと感じます。」

その出来事は、事例化されていいものだろうか。

事例化されていい出来事なんかあるんだろうか。

同い年のひとは、「若者」でくくられていることもあって、もう少し感情的なコメントが目立つ。コメントをされている「年上のひと」に比べて「当事者感」が強いのだろうと思う。

数日前に、初めて論壇を書いて、今日掲載されていた別の方の論壇を読んで、ああ論壇というのはここまで社会化しないとのらないものなんだなとよくわかった。

そして、その訓練はここ数年全くしていないとも気づいた。じぶんの文章を社会化する。

潜るところまでは潜りきったのだと思う。

これをどう社会化できるか、それを考える段階に今はいる。注意深く注意深く言葉を探し、文を紡ぐ。

SNSは遊びでやるくらいがちょうどいい。

こんなことにイライラしているようではだめだと強く思った。遊びでやるもの。だから誰かの言葉にエネルギーをとられるのは本末転倒。

ああでも、まだ、気持ちが良くない。

「若者」だなんてどこにもいない。批評されていい事実なんてどこにもない。誰から目線のコメントか。その文章の先にある出来事について書いてあるかのようで、じぶんのことしか書いていない。

なら、じぶんのなかにとどめておけばいいのに、ひとのためのフリをした言語化なんてしなければいいのに。もっともっとちゃんと力をつけて、ちゃんと言葉を届けられるひとになろうと、そういうことを思っている。