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額のまんなか

心がぐらぐら揺れている。

ひとと目があうとき、または向かい合うとき、何かを交換しているのだとよく理解した日になった。

今日という日に思うことは、明日には流れ去っていることがほとんどで、昨日まで思っていたことも、今日の時点にはのこっているものが少ない。

そのなかでもちらほらと、必ず残っている大きな石のようなものがあって、それがおそらくこの人生で大切にしたいことだったり、テーマだったりするのだろうと推測している。

向き合ったひと、その額のまんなかにそのひとの輝きがつまっているのをただ感じる、見えるわけでも、聞こえるわけでもないけれど、ただ感じていて、その感じていることをじぶんは知っている。

今日学んだことを、わたしは表現できるだろうか。今日気づいたことをわたしは血肉にできるだろうか。

まだ何も実績のないわたしに対して真剣にボールを返してくれる大人のひとの存在に、心の底からありがとうと思う。瞑想をすると、自然に床と額がくっつくお礼を繰り返すことがある、あれは日々のこういった瞬間に対しての感謝が溢れ出すからなのかもしれない。

ときどき、じぶんのすべてに対して、嫌になる。

こんな言葉で話しているようでは、こんな言葉を用いるようでは、こんなものを公開しているようでは、きっとだめなんだと、深く落ち込むときがある。

もっと、ひとに伝えるつもりで書かなくてはとか、なんていうんだろう、とにかく「こんなんじゃだめだ」の石つぶてが大量に降る日がある。

こんなすごいひとがいるよと聞くたびに、どうしてじぶんはそうやってストイックになれないのだろうと、見当違いの自己嫌悪に陥るときもある。

でも、落ち込むその間も、たえず、周りのひとの声がする。石つぶてを全身に受けながら、上を向いてそのひとの話を聞く。

言葉のなかに必ずヒントがある。必ず、今のじぶんに対する答えが隠れている。

キーワードを見つけたら、ひとつひとつを紐でくくり、あるひとつの形を組み上げて、動かしていく。

ときどき、じぶんのすべてが嫌になる。

でも、それでも止まらないときのなかで生きている。

藤村先生の言葉を思い出す。

今すぐできると思うな、それは絶望に繋がるから。
絶望してしまうと人は動けなくなる。
そしてまた動けなくなったことに絶望してしまうから。
5年後に目標を定めなさい。
その島に向けてひとつずつ石を積んで橋を渡しなさい。
気づいたらあなたはその島にいるのだから。

意味はないかもしれない、遠回りかもしれない、それでも、今このやり方をやめられずに続けているじぶんを未来のじぶんは笑ってくれていると思う。

あっという間に好きになった。

じぶんを生きている、それがどれほど魅力的か思い知る。

小手先の仕事の仕方や、身につけているものや、造形や、発信じゃない。そんなものにはこころは揺れない。わたしのこころが揺れたのは、そのひとがそのひと自身として立ち、光を放っているからなのだ。

そして、わたしもやっぱりそういう風に生きたいと思っている。

絶望していてもいいから、進もう。小さい石でもいいから行動を続けていこう。

きっと5年後のじぶんは今のわたしのやり方を笑ってくれている。ひとつずつやってみよう。

誰かのためですらない、ただ、じぶんのために。

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