色とりどりの石に光があたる。
陽の光あたってキラキラと。
エネルギーが増えるか、減るか。
それにしっかり着目しなさいと、今師事している先生が言う。
その基準ってとってもわかりやすい。
エネルギーって、なんて言い換えられるかな。わたしにとっては、エネルギーという概念があるように思う。
目に見えないもの、湧き上がるもの、ひとびととシェアできるもの、植物や動物たち、この星で生きて死ぬすべてのものが持っているもの、宇宙の星々から放たれているもの。
それぞれのエネルギーには、それぞれのリズムがあり、色合いがあるように感じる。
そのなかでも、先生のいうエネルギーは、じぶんという枠組み、身体という線で区切られた枠組みで捉える個の単位としてのエネルギーだ。
ただ、身体の皮膚はその境界ではない、身体の中心にもっとも濃度が高い部分があって外側にいくほど薄れ、皮膚の線を超えてそれはしばらく漂う。
大好きなカフェのおねえさんは、逆理禁止!という。個として存在する身体のなかで、エネルギーは循環している。
エネルギーを減らさず増やすためには、まずこの循環を感じることが手っ取り早い。というか、エネルギーを認識しないことには増やすも減らすもない。まず、じぶんのなかでとうとうと流れるものを感じる。
その流れが滞る要因を減らし、流れをスムーズにしたあとに、増えるか減るかに着目するのが順序としてはいいように思う。
流れを遮る大きな石はトラウマと呼ばれる。
幼かった頃の記憶、集合的に持っている記憶、さまざまなものが身体のあちこちにある。ひとに手伝ってもらったり、じぶんで向き合ったり、土地の力を借りたりしながらその石を取り除く。
たいてい、取り除くのにふさわしいタイミングで、取り除くのにふさわしい出来事が用意される。
小さな石や、腐ってしまった枝葉は、おそらく習慣的なものにあたる。日常的に繰り返す動作や精神的な癖、これらも少しずつ向き合い取り除く。
これは大きな石に比べ意思が必要だ。でも、ここと向き合うことは、じぶんとして生きるうえでとても面白い。現実が変わる速度があがるからだ。
そうすると、まず逆流はなくなり、対流が生まれることも減っていく。
さて、そうなったときに、エネルギーが増えるか減るかを感じていくことができる。これはとてもたのしい。
感情、出来事、仕事、生活、コミュニケーション。何かひとつとっても、エネルギーが増えるものもあれば減るものもある。
そしてこれは人によって異なる。
わたしはさっきまで大好きな奈良さんとマキさんがつくってくれた美味しいうどんをいただき、大好きなみんなとお腹を抱えて大笑いしながらウノだの七並べだのした。
わかりやすい、大好きという心の動き、湧くものはエネルギーを増やす。
エネルギーにも種類がある、カラーもある。すべて詳細に感じれば感じるほどじぶんを知る。
かっこいいこともカッコ悪いこともある。
今まではエネルギーを減らすものだと思っていたけど体験してみるとエネルギーを増やしてくれるものになることもある。
予想できるものもあればできないものもある。
ひとつひとつやってみたり、やらないでみたり、そういうトライが生きるのを面白くする。