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隣に誰かがいたならば

Facebookにぱらぱらと書いては消して、眠る前にいつもやっている気がするなぁと思って苦笑い。

言いたいことって実は簡単なことばっかり、シンプルなことばっかり、伝える相手のひとが隣に眠っていないだけでややこしくなる。

おやすみ、おはよう、いただきます、ごちそうさま。

簡単な言葉を返し合うひとがそばにいてくれたら、ふわふわと浮きがちなこの身体もしっかりとどこかに根を張ることができるのでしょうか。

ふわふわと浮いてしまうじぶんのことも好きだけれど、たとえば今日のように月があやしく光る夜なんかは、なんだかちょびっと心もとない帰り道だったりするよね。

誰でもいいわけじゃないというのがまた難しいところ、うっかりひとを好きになることはたくさんあるのに、そのたくさんと日常はまだまだ交わらない、いやきっと心臓をなるべく長く持たそうと身体が計算していて、それだから日常ではなく少し遠い非日常と呼ばれるその場所に好きをたくさん撒いたのかもしれない。

本当は出不精で怠け者でぐーたらなわたしを、少しずつ少しずつ遠くへと歩かせるためにそういう形に整えられているのかもしれない。

なんにせよ、好きという気持ちは偉大で、今日もわたしは少しさみしい夜を過ごしているわけだ。

1ヶ月もしたらたぶん一人暮らしが終わってシェアハウスが始まる(予定)なんだけれども、はてさてどうなることやら。

一番の目的は「食べ物」である、じぶんひとりでは片付けが面倒で自炊をしないのだ、今のお家に越したのは今年の4月からだけど(その前からかりてたけど物置になっちってた)、なんとびっくり調味料はゼロ、冷蔵庫をあければ水と梅干し、冷凍庫のなかにはハーゲンダッツと、酔っ払っていれたのは覚えてるけど触るのがこわくて見つめることすらできない謎の牛乳・・・・・・。カチンカチン・・・。

誰かが一緒だったらきっとわいわいつくったり食べたりできるのではないかと、実は料理をするのが好きなので思っている。料理ってなんか実験みたいで楽しいし、高校生のときはお姉ちゃんと二人暮らしもさせてもらったのもあって普通につくるのはつくれる(ただ片付けが壊滅的にできないんだけど)。

誰かと日常を共有できる喜びにつられて、遠くにいるパートナーのひとときちきちっと離れようかと何度か頭のなかで想像してみたけど、とてもじゃないけどまだこんなに好きなのに無理だわ、と、くらくらくらっと地面に倒れ込む始末。

あほなのである。毎日が、あほなのである。

とりあえず、今日も今日とてよく働き、明日はたぶん今日よりもっと良い日になるのを先に喜びながら眠ろうかな。これ書いていたら愉快な気持ちになった。わはははは。

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