Twitterでイケダハヤトさんがリツイートしたme tooの動きを、なんとも言えない気持ちで眺めている
思い出さなくていいことを思い出し、具合が悪くなる
でも、その一方で、SNSなどではなく(あくまでわたしは)、日常のなかでこの運動を支持しようと改めて思う
年の小さい友だちがたくさんいる今、彼、彼女たちに要らない連鎖を渡さぬよう
じぶんの気持ちと向き合い続けることは、誰かにすがってしまいたくなる弱さからわたしを助ける
誰かにじぶんのみたい景色を委ねたとき、誰かにじぶんの内のさみしさを委ねたとき、誰かにじぶんのなかの葛藤を委ねたとき
その結果として身体的に傷ついたのだ
そしてその傷つきから、わたしはわたしの内面を細かく言語化することによって認識する術を得て、またその言語化を通して立ち止まって考察することもできるようになった
立ち止まって考察することができるようになったら、ひとに対する本来持っていた感覚が戻ってきた
ほんとうにわたしを大切に思ってくれている人の言葉や表情、感触
そうではないひとのそれ
そこには言語化すらできない、明確な違いがある
その違いの感覚を、もっとハッピーな表現で彼らにシェアする
毎日の暮らしの中で
たぶんそれが今のわたしのme tooなのだと思う
一瞬一瞬の関わり合いの中に、うんと愛を詰め込む、それも運動なのだと思う
、
だけど、冷静にそしてとても強く、me tooで告発されているひとたちが罰を受けますようにと願うじぶんもいる
もちろん、それが表面化している問題なだけで、根本的には性教育や、性の認識、いろいろな社会的背景があることも理解してるけど
聖人君子にはなれやしない
あのとき、固まって動かなかったわたしの心が揺れたのは、怒りで震えていたあるひとの足だった
そのひとの怒りがなかったら、わたしはたぶん、空っぽのままだったのだろうと思う
ありがとう
あのときのわたしを支えてくれたひとたちに思った