海へ行った
ぷかぷかと浮いていると、たいていのことはどうでもよくなっていく(ように思える)
海へ行った
夏休み、ひとで溢れた海の味はいつもよりも舌にぴりぴりと染みて、間違えて口に入った海水を何度もぺぺぺと吐きだした
海水って甘かったり、塩辛かったり、海の場所によって違う、でも今日の海は舌をぴりぴりと刺したのだ
それが意味しているのは、やっぱりたぶん日焼け止めや化粧品なんかに含まれている成分の濃度が一時的に濃くなっていたということなんだろうと推測している
じぶんの感覚を信じるなら、だけれども、、、
さて、「サンゴに優しい日焼け止め」という製品がある
、、、ということは、サンゴに優しくない日焼け止めがあるということだ
なにかの生き物に「優しくない」ものは、おそらく人間にだって優しくないんじゃないかと思うんだけれど、その感覚もまた、じぶんの感覚を信じるなら、だけれども、、、の話である
何を信じて生きていくのか
ひとから聞いた話
ニュースで見た話
二次情報だとか一次情報だとかいう言い方がある
ようするに、また聞きは二次情報、シェアしたもものを読んで知るのは二次情報
肌で触れて、じぶんの足ででかけた場所で出会うのが一次情報
とはいえ一次情報至上主義にならなくてもいいと思う、このご時世、歩いて測量しなくてもタップ一回で地図が出るのだ
一次情報至上主義になると世界は狭まってしまうし、今までを積み上げてくれた先人たちに感謝しながらいっぱい利用させてもらえばいいと思う
さっとわからないことが調べられる便利さを享受しながら、見えない部分に思いを馳せるようにして想像力をはたらかせる
そのバランス感覚こそがおそらく重要なのではないか
なんのためにって、わたしやわたしの子どもや、わたしの孫たちが心地よく暮らすためにである
その想像力がもたらすものは圧倒的な好奇心である、これはもはや身体的な欲求、こみ上げてくるもの、我慢などできないその感覚を追求し心ゆくまで調査をするのもまたとても大切なこと
、というようなことを、海に行ってから帰るまでの間にさーっと考えていた
なんのためにじぶんの命を使うのか
なんの時間を過ごすのか
なんていうか、そういうことを考えていた
誰かが用意してくれた情報ばかり摂取してたら、いつのまにか狩りの仕方を忘れ、気づいたら飼い慣らされてしまう
飼い慣らされる暮らしだっていいだろう
そこには安定も安心もあるのかもしれない
だけど、やっぱり、自由こそ我が人生ではないかと、よく意味のわからない締めくくりだけれども、そういうことで
今日も今日とて、生きていました