大切なのはまんなかの軸からぶれないことだ
でも、そのぶれないというのは「揺れない」というわけではない
沖縄に台風がくるとよくわかるのだけれど、大きな木も、小さな木も、みなよくしなっている
風の力の強さを枝をしならせることで逃す、もし、しなることができなければその枝は折れてしまう(ときに折れることも全体のために必要だったりもする!)
藤村靖之先生の「地方で仕事を創る塾」に入ると決めた、参加費の12万円の貯金はなかったので、つくると決めた
もうすでに8万円、今一生懸命お仕事を増やしているのでそこでも少し増やせて、ちゃんと支払えそうだ
わりと何回もやめようと思った
一番の理由は「身の丈ではないということでは?」という視線だった
今持っていない金額のなにかに飛び込む
それは、身の丈にあっていないのではないだろうか、そういう思いがあった
でも、じゃあいつその身の丈は変わるんだろうかと思うじぶんもいたりして、そこで悶々としていた
「お金が足りない」というのは表面で起きている事象で、それに対する「悶々」の部分は、内面にあるじぶんへの評価や、信頼、これからの人生への期待など、いろんなものが混ざってできていた
だけれども、いくつか行動を起こしていくなかで、やっぱりこれはやりたいことだなと実感し気づいたらより大きく動き出していた
(というか身体がうずうずしちゃうので我慢できないっていうのが一番大きいのだけれども)
だんだんとじぶんの軸が見えてきた
まだまだ育ち始めたばかりのその軸
おばあちゃんになる頃には大木だろか
言葉にしてしまうと簡単で「生きる」なのだ
らしく生きる
たのしく生きる
何よりも、「生きている」と実感できるように生きる、それがわたしの軸なんだろうと今は思う
これはじぶんが軸だと感じている、じぶんの中心、源の翻訳であるので、わたしの使える言語が増えるたび、きっと表現は変わる
でも今はそれが一番しっくりくる
そして、この言語化は、「生きている」と実感できない時間を過ごさないようにしていく、という行動にもつながっていく
よき
軸はぶれない
でも、揺れていていい
この宇宙にあるものはすべて細かく細かく揺れることでできているのだから、それは本質的な動作なのだ、たぶん
「生きている」と実感する
揺れていい、明るいところ、暗いところ、たのしいところ、たのしくないところ、いろんな場面で「生きている」を実感する
まだまだうまくいえないな
揺れていい、ぶれるのとそれは違う
ぶれるっていうのはたぶん
「生きる」を実感するというのを放棄すること
別にいいやって他者にそれを委ねてしまうこと
揺れるのは、いい
それは、いろんな状態でいいっていうことだ
とってもすごいひとみたいになったり、全然だめなひとみたいになったり、わたしのなかに一体何人格いるんだろうと思うけれど、どれも本当のじぶんだなぁと感じている
とても、いい感じ!