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十月十日

太鼓を打つ。
「ひとつひとつの音の跳ね返りに驚かないで」
まだ、先生の声が耳に残っている。

太鼓の音、耳の奥まで震えを届けながら。
脳裏にうつるのは、じぶんが軽やかに回る姿だった。
前に後ろに、くるくると、宙返り。
と、思えばラートがでてきたり踊ったり。
そしてまた、太鼓をたたくじぶんの姿に戻っていく。

一打、一打。
右の腕を振り下ろすときに感じるその感覚。
左の腕を振り下ろそうとしても、思うようにいかない。
こんなにもできないものかと、ふがいなさを感じる。
ふがいなさと恥ずかしさ。
それはいつもいつも、何かをするときにわたしのそばにある。

昼間言われた「赤子は自信をなくすか?」と。
「遠慮をするか?」と、その問いが頭の中でまわる。

いつ、自信をなくしたのだろう。
いつ、こんなじぶんではだめだと、そう思ったんだろう。

太鼓を叩きながら、じぶんの真ん中、真上、真下を繋げる。

空間には3歳になる女の子がいた。
3歳の次は6歳になるといい、わたしは5歳だと言った。
彼女のお母さんは、36歳だった。

6、7名のひとが太鼓と向き合う間。
なぜだか涙をこらえるのに必死だった。
ほんとうは、大声をあげて、しゃくりあげて泣きたかった。

太鼓の音、耳の奥まで震えを届けながら。
心の奥底の泥を揺らし、水を濁らせていく。
濁った水の中、少しばかりの光を受けて、何かが煌く。

誰かの視線を感じて顔をあげる。
さっき友人になったばかりの小さな子。

腕と、足に、「塗ってあげるね」と虫刺されの薬を。
かゆくないし、刺されてもいないし、と止めようとした。
でも、止められず、ただ、撫でられていた。

ひと撫でひと撫でされるたび、心がほぐれていく。

本当は、大切にしたかった。
本当は、大切にしたかった。
壊すつもりなどなかったし、逃げ出すつもりもなかった。
ただ、あの頃の小さな体には、あまりにもたくさんすぎたのだ。
悲しみも、苦しみも、切なさも、多すぎたのだ。
喜びも、楽しさも、もちろん愛情も、そこにはあったのだけれど。

愛していた、と、思った。
今更、もう、伝える気さえもっていないのだけれども。

そして、愛されていた、と思った。
今頃、もう、確かめる気さえ起きないのだけれども。

もういちど生きようと思う。
毎朝、起きるたび、むしょうに嬉しくなる。
朝がきた、喜びのあさが来た、うたが流れていく。

何度でも死に、何度でも生まれよう。

本当は、泣きたかった。
大声をあげて、しゃくりあげて。

もう20年も前のこと。
もう、20年も前のこと。

今と変わらず、たくさんのひとを好きでいた。
そして、たくさんのひとに愛をもらっていた。

あの頃、抱えきれなかった感情を胸に包んで。
何度でも死のう、何度でも生まれよう。

その先で、この日常の先で、やっと出会えるのだろうと思う。
その日をただ静かに待つじぶんを、そっと撫でてみる。

もう十分に傷つき、傷つけ、もう十分に癒された。
何度でも死に、何度でも生まれよう。

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