太鼓を打つ。
「ひとつひとつの音の跳ね返りに驚かないで」
まだ、先生の声が耳に残っている。
太鼓の音、耳の奥まで震えを届けながら。
脳裏にうつるのは、じぶんが軽やかに回る姿だった。
前に後ろに、くるくると、宙返り。
と、思えばラートがでてきたり踊ったり。
そしてまた、太鼓をたたくじぶんの姿に戻っていく。
一打、一打。
右の腕を振り下ろすときに感じるその感覚。
左の腕を振り下ろそうとしても、思うようにいかない。
こんなにもできないものかと、ふがいなさを感じる。
ふがいなさと恥ずかしさ。
それはいつもいつも、何かをするときにわたしのそばにある。
昼間言われた「赤子は自信をなくすか?」と。
「遠慮をするか?」と、その問いが頭の中でまわる。
いつ、自信をなくしたのだろう。
いつ、こんなじぶんではだめだと、そう思ったんだろう。
太鼓を叩きながら、じぶんの真ん中、真上、真下を繋げる。
空間には3歳になる女の子がいた。
3歳の次は6歳になるといい、わたしは5歳だと言った。
彼女のお母さんは、36歳だった。
6、7名のひとが太鼓と向き合う間。
なぜだか涙をこらえるのに必死だった。
ほんとうは、大声をあげて、しゃくりあげて泣きたかった。
太鼓の音、耳の奥まで震えを届けながら。
心の奥底の泥を揺らし、水を濁らせていく。
濁った水の中、少しばかりの光を受けて、何かが煌く。
誰かの視線を感じて顔をあげる。
さっき友人になったばかりの小さな子。
腕と、足に、「塗ってあげるね」と虫刺されの薬を。
かゆくないし、刺されてもいないし、と止めようとした。
でも、止められず、ただ、撫でられていた。
ひと撫でひと撫でされるたび、心がほぐれていく。
本当は、大切にしたかった。
本当は、大切にしたかった。
壊すつもりなどなかったし、逃げ出すつもりもなかった。
ただ、あの頃の小さな体には、あまりにもたくさんすぎたのだ。
悲しみも、苦しみも、切なさも、多すぎたのだ。
喜びも、楽しさも、もちろん愛情も、そこにはあったのだけれど。
愛していた、と、思った。
今更、もう、伝える気さえもっていないのだけれども。
そして、愛されていた、と思った。
今頃、もう、確かめる気さえ起きないのだけれども。
もういちど生きようと思う。
毎朝、起きるたび、むしょうに嬉しくなる。
朝がきた、喜びのあさが来た、うたが流れていく。
何度でも死に、何度でも生まれよう。
本当は、泣きたかった。
大声をあげて、しゃくりあげて。
もう20年も前のこと。
もう、20年も前のこと。
今と変わらず、たくさんのひとを好きでいた。
そして、たくさんのひとに愛をもらっていた。
あの頃、抱えきれなかった感情を胸に包んで。
何度でも死のう、何度でも生まれよう。
その先で、この日常の先で、やっと出会えるのだろうと思う。
その日をただ静かに待つじぶんを、そっと撫でてみる。
もう十分に傷つき、傷つけ、もう十分に癒された。
何度でも死に、何度でも生まれよう。