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人間的な暮らし、実態を伴う暮らし

人生フルーツをシアタードーナツで観た。
複数の面から捉えられる、誰かと感想をシェアしたくなる映画だと思った。

観たひとごとに感じるものがあるけれど、共通点もあるような。
それはきっと「人間的に暮らす」という言葉に凝縮される。

映画を観ていないひとは「人間的に暮らす」と聞いて何を連想するだろうか。
わたしだったら何を連想しただろうか。

映画を観たひとは「人間的に暮らす」と聞いて何を思い描くだろうか。
わたしは。

「人間的に暮らす」

おじいちゃんとおばあちゃんが口を酸っぱくして言う言葉でもある。
好きな時に起きて、好きな時に眠り、好きな時にご飯を食べるようでは動物だ、と。

わたしは、そうとは思わない。

好きな時に起きて、好きな時に眠り、好きな時にご飯を食べれるようであれば、いっちょ前だ。そう思うのはすこしひねくれているかもしれないけれど。

ちがうちがう。

ご飯を食べるタイミングや、眠るタイミングなどどうでもいい。
そういったのは細かい”好み”の問題で、「人間的な暮らし」には関係ない。

人間だって動物で、住まう地域や季節によって生活の様態が変わればいい。
加えて好みによって、更にそのグラデーションが細かくなればいい。

「人間的に暮らす」

人間的の対義語って何になるんだろう。
奴隷、かなぁ。

でも、やっぱり。
この考え事も重要なワードではあるけれども、今はちょっと違う。

もっぱら考えているのは「実態を伴う暮らし」についてだ。
それを説明するときに「人間的な暮らし」というのも付随する。

実態をもつ。

じぶんの考えること、感じたこと、哲学。
そういったものがきちんと仕事や生き方にあらわれているような暮らし。

人生フルーツのなかで、修一さんが言った。
「なんでも自分でやること、コツコツとそれをやれば何かが見えてくるから」

お金儲けにならなくても。
誰の役に立たなくても。
やっていたら後ろ指を指されるかもしれなくても。
その道を選ぶために行動をしたら、ものすご~い嫌な思いもするかもでも。
そして、嫌な思いをさせてしまうのがわかっていても。

それでも、今やってみたいのは修一さんの言葉に凝縮されている。

スプーンをつくってみたい。
服をもう一度仕立ててみたい。
うたをつくって、踊りを踊って、文章を書いて。

じぶんの手でどんどん何かをつくってみたい。

飽きるまでそれをしたら、なんとなくわかる気がする。

いよいよ世捨て人コースまっしぐら。
叔父さんがそう笑うような気がする。

前だったら、おじさんがそう言ったときに、怒ったりムッとしたり。
でも今はそう思って笑ってしまう。

世捨て人まっしぐら。
でも、ま、いっか!と思って、笑ってしまう。

おじいちゃんが「お前が幸せになる道を選べ」と言った。
それを思い出す、きもちのよい朝。

やってみたいんだからしょうがない。

頑張って頑張ってすり減っていくよりも。
やってみたいと思ったこと、ひとつひとつ実現しよう。

と、いつも思考は身体の後ろからついてくる。
もうその方向に歩き始めてから、じぶんの動きを言葉で理解する。

不思議だなぁ。

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