急にきもちが溢れて身体の器を飛び出してしまった。
とても好きな人に髪を切ってもらったからかもしれない、何かが外れて、わ~~ってなってる。
2017年はとてもとてもとても特別な年だった。
人生の目的だと思っていたラートと距離をはじめてあけて、先生にも会わなくなった。
男のひとをゆるし、自分のなかにある暴力性を抱きしめ。
今日髪を切ってもらったひとも2017年になってから出会ったひと。
大切な藍のワンピースと出会ったのも2017年。
そのうさとの藍のワンピースに出会わせてくれたのはアメナルミチ、アメナルミチとの出会いも2017年。
わたしにとって大切な場。大切な「場」。
場とのつながりを生まれてはじめて感じ、嘘か、子どものときの感覚を思い出し、場とつながることをもう一度やったのが今年だった。
何もかもがあるがままに、流れるがままに、不自然なことをしないと決めて、少しずつ変わったのが今年だった。
9月11日、すべてが変わるよと、あなたは未来から来たんだよと(いろいろなひとが読んでいるブログに書くのはややあれだけれども)それを教えてもらって、一気にひらけた。
3ヶ月後すべてが変わると、本当にその通り変わった。
自分の人生を変えた出来事と向き合い、その縁を見つめ、家族っていいもんだって言えるようになった。
家族っていいもんだって言えるようになったら、誰かを「妬む」ことがなくなった。
妬むことがなくなったら、もっといっぱい好きな人が増えた。
好きがいっぱいで困るのも終わった。
2016年に好きだったひとたちのことは未だに大好きだけれども、でも、その愛情がfrom自分to自分の愛情だったことに気づいた。
みんなを愛し、みんなに愛され、それと同じようにわたしはわたしが本当に大好きなんだなというのを思い知った。
そしてスケジュールがなかなかうまく組めずに、ラートには結局触れないまま年を越す。
でも、1月から練習再開できる目処もたった。これも体操部のご縁のおかげ。
今日髪を切ってくれた、大好きな、お姉さんのような気持ちで慕っているとても美しいひとが教えてくれた。
「ものと捉えると、距離をおいたあとに「なくした」と感じる、でもそうじゃないよね、そう思うと、こうやってゆるやかに繋がっていることを感じられる」
そう教えてくれた。
「すべてのひとは、すべてのひとの暮らしに必要なものを与えられているんだよね」
暮らしのなかで感じたことを、等身大に紡ぐ言葉で教えてもらって。
とってもとっても腑に落ちた。
わたしは2017年、本当に豊かに生きさせてもらった。
好きが溢れて、愛になって、身体の器から溢れて、いろいろなひとに届いていく。
いろんな念があるけれど、ああこれが世の中を良くするとわかる軽さの念を抱いてる。
まだ、さみしい。まだ、かなしい、まだいろんなことがわからなくて、とっても苦しい。
胸の痛みは終わってない、でも、でも、でも、本当に素晴らしい1年だった。
もっともっと澄んでいく。
2017年に出会ったすべてのひとにありがとうと思う。
2017年にその出会いを、「出会い」と受け止められるように準備をしてくれた2016年までの生活にありがとうと思う。
とても良い気持ちで明日を迎えられる、明後日にはおじいちゃんおばあちゃんに会える。
身体に流れている血が、今出会うひとたちとの目に見えないつながりが、「場」が教えてくれる役割が、どんどん生きる目的をクリアにしてくれる。
まだまだまだまだわからないけれど、わからないことを嘆くよりも、一回でも多く子どもと笑って、今日よりも楽しい世の中になったらそれでいいって思える日だった。
髪、切ってくれてありがとう。
とっても素敵な友だちを、この世につれてきてくれてありがとうと、思ってる!
ありがとう。
幸せいっぱい!