9月はカラーセラピーのお仕事を始めた去年の12月から初めてお客さんが10名を超えて、最後の週は4日連続で5人のひとにセラピーをしました。
その反動だったのかな?
10月1日の素敵な女の子のセラピーが終わってからは全然「したい!」と思わなくて、いただいた予約も3件(週に1回ペース)ほどあったんだけど、どれもキャンセルになったり、わたしが体調崩したりで流れてしまいました。
自分のなかでね、カラーセラピーに対してすごく違和感を持ち始めたのが10月の二週間目くらいでした。
他のお仕事のお給料も増え、カラーセラピーのお給料がなくても生活に困らなくなって初めて「あれ?」と思ったわけです。
(9月までお金のためにやっていたというわけではなくてね。)
ただ、なんていうか、あ、おかねをいただく以外の喜びが減っている、という気づきでした。
そして、自分が施している内容に自信がなくなっていって。
そのセラピーを受けている間、お客さんは抱えていた想いが言語化されとてもスッキリされて帰られる。もしくは今考えていることをうまくまとめられたり、もともと持っていた強い望みに気づいて涙を流してスッキリされたりする。あとは、身近なひとたちとの関係性が変わっていったり、困っていたことが解決したり、そういう付随する効果みたいなものも確かにあった。
だけど、なんだか、なんだかね。
一過性のものに過ぎないような気がして、そのときだけ楽になるドラッグな気がして。
なんだか自分のやっていることが「まっとう」といえるのだろうかと、そういう考え事がちらほら頭によぎるようになっていきました。
マヤ暦も、カタカムナも、数秘も、そのひとの人生のヒントを教えてくれる。
名前や誕生日はたしかな情報源だということもわかります。
だけど、なんだか、人生はそれだけじゃなくて様々な要素がもっと複雑に絡み合っていて、その一方でとてもシンプル。日々の感じていること動かした現実の分だけ変容が生まれていきます。
そういう真逆な今感じていることをどうやって人に渡したら、そのひとは何を知ったら、もっとちゃんと底にある想いと抱きしめ合うことができるんだろうか、その手助けってどうやったらできるんだろうか。
どうしたら「ああ、これでいい」と思えるセラピーができるんだろうか。
何かの資格をとりにいく?マヤや数秘の勉強をより深める?
そうじゃない。
そして、その疑問は「わたしにはもっと良いセラピーができる」という自信とセットだったことにも気づきました。
でね、その答えが「もっともっと自分で在ること」だと教えてくれたのは、11月の予約をいれてくれた方のメッセージでした。
なんだかね、メッセージを読んで涙がでたよ。
ああそういうことだったんだって思えたよ。
そのままの自分でいる。
そのままの自分で言葉を渡す。
これからはたぶん、それだけでいい。
ドキドキしてる、心臓がいつもよりちょっと早い。
喜んでる。とってもとっても喜んでる。
変わっているようで、変わっていないようで、根元の部分がよりよくなりました。
わたしと一緒にセラピーも成長しているのだなと嬉しい気持ち。
スカイプもやめます。対面オンリー。
なので、沖縄県在住の方がメインのお客様。
11月は2週間ほど愛知に滞在するので、愛知県のお客様にも会えるかな。
日によります。
料金は変わらず一律1万円。
もうたぶん値上げも値下げもしません。
値上げするとしたら、またステージが変わった時、そしてそれはしばらく先の話。
わたしが感じていることを、そのまま相手にお渡しする。
そして、そのひとから感じたことをうたにしたり、詩にしたりして、相手に伝えます。
分割支払いは喜んで、わたしもいっぱい人からそういう気遣いをもらったからです。
今のところは15歳〜60歳までのお客様と出会いました。
何歳でも、会いに来てください。
よし、次のシーズンはいったな、と、台風が過ぎた沖縄で思っています。
ありがとう。