「もしも許されるならば」
ふとしたときに、道を歩いているときに、夜寝る前に、おなかが少しすいたときに。
そういうちょっとした隙間に頭に浮かぶ言葉はいつもそれだった。
「もしも許されるならば」
誰の許可をなぜ求めていたのか、いつ求めていたのか、何をしたいのか。
その言葉が浮かぶ頻度は年齢を重ねるのと比例して減っている。
「もしも許されるならば」
その言葉の重たさに戸惑う。
でも、この言葉は物心ついたころからずっと共に歩んできた言葉だという認識もある。
「もしも許されるならば」
家族に?違う。
環境に?これもまた違う。
「もしも許されるならば」
今日、沖縄の南部の田舎で道に迷い、連絡手段も持たずに家を出て、歩いているひとに聞こうかと思ったら予想以上に田舎で誰も歩いていない。そんな道で出会ったひとりのひとに助けてもらった。
そのひとは親切に車で目的地まで送ってくれた。
ウクレレの先生のおかげで、超つたないけれども人前で歌をうたう経験をさせてもらった。
みんなが笑いながらあたたかく聴いてくれた。
「もしも許されるならば」
知り合いの素敵な夫婦の子どもと久しぶりに会えた。
わたしは彼が大好きで、言葉でのコミュニケーションはまだなかなかうまくいかないけれど、身体で会話を楽しむことができる。
「もしも許されるならば」
こわいと思っていたこの言葉が、自分対自分のコミュニケーションだったとカラーセラピーのお客さんのおかげでわかる。
わたしが許されたいと思っていた相手はずっと自分自身でした。
そして、枕詞は「こんな自分でも」だった。
「こんな自分でも、もしも許されるならば」
その続きに来る言葉は「◯◯がやってみたい」
「こんな自分でも、もしも許されるならば、◯◯がやってみたい。」
わたしは今22歳で、とんでもない財力は手元にないけれど、でも、大人です。
何かをやりたいと思ったら、誰かが応援してくれて、誰かが叶えてくれる。
もう、なんでもできる「大人」になれました。
あの頃、とってもなりたかったおねえさんになりました。
行きたいときに行きたい場所へ行き、食べたい時に食べたいものを食べ、会いたいときに会いたい人に会いにいく。
そんなことができる大人になれました。
まだ、叶えられる範囲には制限はあるけれど、それは今の暮らしを樂しむために自分が自分で設定した制限。
安堵の喜びを知る為に不安があるのと同じこと。
自分の人生の純度はどれくらいですか?という質問に出会ってから2年が経ちました。
数え切れないほどの出来事、喜びも苦しみも、信じられないようなひどいことも。
2年を経て、わたしの人生の純度がやっと100パーセントになったのが今日でした。
とても軽い、心が、身体が。
できないことがなくなったわけじゃない、失敗をしないわけじゃない。
苦しいことが起きなくなるわけじゃない、つらいことに出会わなくなるわけじゃない。
ただ、轟々と音を立てて大きく大きく流れる水流のような時間の流れ、出来事の波のなか、溺れることを恐れ浅い呼吸をしていた自分から、しっかりと二本の足で立ち、大きく胸を開いて、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
そんな自分へと変化したことを喜んでいます。
少し前の自分だからできたことがあった。
届けられる言葉もあった。
同じように、今の自分だから伝えられることがある。
届けられる言葉がある。
出会えるひとがいる。
そして、新しく進むべき道がある。
2年間ずっと誰かがいつも寄り添ってくれていたことを、親しいひとの旅立ちの日が決まったことでたくさん思い出しました。
あのとき、あのとき、あのとき、支えてくれてありがとう。
あのときに何時間でも連れ出してくれたあなたのおかげで今のわたしがあると、わたしはしわくちゃのおばあちゃんになっても忘れないんだろうなと思います。
ありがとう。