生きてて今がいちばん楽しいなぁ~と、歩きながら思う。
特に、琉球大学はやっぱり緑がいっぱいあってとてもきもちがいい。
山みたいなとこもあるし、池もあるし、不思議だ。
今日なんか図書館から出たとき、あんまりにも空が綺麗でびっくりしてボーっとした。
クーラーで冷えてしまった体に、少し生ぬるい風がちょうどよくて気持ちがよかった。
今がね、一番たのしいと本当に思う。
何もしんどいことがない。
(というと嘘かもしれないけど、そういう気分っていうこと!)
ばかみたいだな~と思いつつ、図書館でニートとか若者の雇用に関する本とかフリーターの本とかいろいろ読んだ。
これは面白かった。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
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いろんなひとにお金をもらえるのは、このひとの才能ではないかと思ってしまった。笑
優しいのが滲み出てて面白かった。たぶんちょっと年上の生きづらいひとのほうが、もっと息しづらかっただろうな〜と、そういうことを考えた。
だから数年後はたぶんもっともっと生きやすい。
いろんな仕事がでてきてて、いろんな家がでてきてて、いろんなまちがでてきててててて。
今よりもず〜〜っと生きやすい国になる、きっと。
どの本にも、就職できないのは本当は社会の構造が悪いんだよー!というようなことがそれぞれの言葉や資料で書かれていた。
もちろん大切なことだと思う。
でも、だからどーだっていうんだろうと、やや冷めた気持ちでそれを読む。
勉強して、研究して、発表して。
それで世の中がどう変わるって言うんだろうって、なんだかすごい嫌な奴な目線で読んでいた。
だけど、今日受けた講義のなかで、目をキラキラさせながらゲスト講師の方が言った。
「この時代に生きてることがほんとうにすごいよね!!!」
ああそれはわかるなーと思った。
プラザハウスで、50年前の沖縄の写真をみた。
「remember the future」という言葉がそえられていた。
そう思う。
わたしも、この時代に生まれてこられてよかったと本当に思う。
だからこそ、なんていうかだからこそ、やっぱりまずは「生きてるってそれだけで楽しいんだな」のところに一旦戻らなければならなかった。
この気持ちを忘れてしまっては何もかもが意味がない。
結局、また競争に飲み込まれてしまう。
社会学の講義である学生が言った。
受験勉強して受験勉強して高校入って、また受験勉強して大学入って、そしてまた勉強して対策して就職して。
その先にはもうわかりやすい目標がないから、ひとはフォロワーを獲得するのではないか。
そんな仮説だった。
おお・・・と思った。
フォロワーって、facebookの友達とか、Twitterのとか、いろいろのこと。
お金を出して買うひともいると、マーケティングのためだろうかとかぼんやり思いながら聞いていた。
この時代に生まれてよかったと本当に思う。
面白い時代だ、よく変わっていく様子をみることができる、宇宙にもいけるかもしれない。
でも、「この時代に生まれてよかった」の前にやっぱり、自分との仲直りだ、と思う。
「やりたいことやればいいんだよ」の前に、自分とのハグだと思う。
「好きなことやりなよ」「やりたいことやるだけだよ」
そのシンプルな言葉はとてもかっこいいけど、わたしもたくさん口にしたけど、一旦黙り込んだ後その言葉をよくみると、結局は自己責任論の社会のなかでうまれた言葉のように思う。
本当はもっともっともっともっとピュアだ、たぶん。
今は、そうなんだね。
やりたいことがわからなくなっちゃったんだね。
でも、生きてるのは楽しいねぇ。
それで、いい、と思う。
でも、世の中にこんなテンポのひとばかりいたら困るから、いろんなひとがいてよかったと、周りを見渡して笑ってしまう。
優しいひとも、厳しいひとも、結局は同じことを言ってる。
「生まれてきてよかったねー」「楽しもうねー」そういうニュアンスの。
そういうことな気がする。
そして、きっとそれは、未来の自分として過去の自分に今それを語りかけているというだけの話で。
わたしはこうやって文章を書いて、これもまたfacebookにシェアするけれども、だけれども「伝えたい」わけではないんだろうと思う。
なんだろうなぁ。
どういう気持ちなんだろうな。
なんでもいいわけではなくて、やっぱりまず自分とペースを合わせること、それから外に出かければいいのではないかという当たり前のことをたぶん、ずっと忘れていたことを、思い出したんだろうなーと思う。
そして、勉強したいひとがすればいいと思うし、研究したいひとが研究すればいいと思うし、何かやりたいひとが何かやればいいと思う。
生きている年代ごとに、たぶん、やり方も関わり方も違う、できることも、できないことも。
お互いに、それらを補い合って、より良い形を模索すれば、それでいいのだと思う。
「若者」も「女性」も「男性」もどこにもいない。
誰かのつくった集合体は主語にはならない。
誰かの批判も、別にどっちでもいい。
「批判」したくなっている時点で、そのひとのなかの何かに引っかかったんだもん。意外とそのひとの問題だったりするわけで。
前に進むための批判はいつだって、批判をしてくれるひとの本当の覚悟と共にあるような気がする。
やりたかったらやったらいいし、いやだったらやめればいいし、いつだって、それだけのことー↓↑
落としたなら拾えばいいし、疲れたなら休めばいいし、いつだって、それだけのことー↓↑
なわけです。(イエイ・イエイ・イエイ/カラーボトル)
眠ろう、文章がでていくだけのぶん身体に隙間があく。そのスペースにまた何か新しいことが入る。
それはすごく心地よいよなーと、レポートではなくブログ書いてると思う。レポートはなんかもう、「修行!!」って感じだな。
今日だけで20冊読んだよ、久しぶりに脳みそフル回転だたわ。