単純に嬉しかったのだ。
いっぱいのひとが自分の好きな場所にいて。
浮かれて浮かれて、実は今もまだちょっとふわふわしてる。
前にイベントしたときも、同じような気持ちになった。
10人のイベントで感じること、20人のイベントで感じることは全然違う。
もちろんその先もきっと違うんだろう、と思う。
そんなふわふわとした状態のままに、帰ってからすぐ動画を撮った。
そしてそれをfacebookにアップした。
いつもmacbookで自撮りでとるよ。
イベントで参加者の方に書いていただいたコメントを紹介したかったし、イベントに来られなかったひとにもイベントの空気感が伝わったら嬉しいとか。
まあいろいろ理由はあるけど、やってみたのはやってみたかったからだ。
動画で自分の思いを伝えてみる。
ウクレレの練習動画を何度かあげて、ラートほどは目を引かないものの、なんとなく見てくれてるひとがいるなぁというのを感じて、とても嬉しくて、たぶんそれが自信になっていた。
「きっと、誰か必要なひとが見てくれる」
そういう確信はあって、だから、さっき、その動画をみて「トライアンドエラー」という言葉を拾ってくださった方からのコメントが届いて、あああの動画は役目を果たしたんだなとホッとした。
ちなみに、「トライアンドエラー」の元ネタは、わたしが大好きな大人の先輩が凹んでるわたしがLINEで謝った時に返してくれた文章。
今もよく思い出して、にまにまとする。
本当に素敵な人だったから。元気にしてるといいなぁ。
話がそれちゃった。
動画をね、あげない理由なんてごまんとあるんですよ。いや盛ったかな?
まず顔でしょ。
タレントのひとやモデルの方っていうのは、自分の体や顔を商品としてしっかりと管理されてるし、やっぱりとても質の高い(言い方変かもしれないけど)。
表情も豊かだし、見ている大部分のひとに好印象を与えられるよね。
わたしはモデルでもタレントでもないし、「あんなにいっぱい写真あげたり動画あげたり自分のこと書いたり、自分のこと大好きなんだね」と、ときどき言われると「う~ん」と思う。
大好きなのは間違いないよ。
だって、一度しかない自分の生きる人生、主人公を好きになれないパターンもありだけど、好きになれるパターンのほうがずっといいと「好きになる」を選んだから。
でも、大好きだからアウトプットを公の場でしているわけじゃない。
これはやっぱりトライアンドエラーアンドトライのうちのひとつなわけです。
とりあえず、やってみないことには始まらない。
ひとつめの石を投げてみないと始まらない。
始まらないっていうのは、「自分は何が好きで、何が得意か」ということがわからない、やってみるまではわからないっていうこと。
妄想は得意だからいっぱいシミュレーションもするんだけど、やっぱり「えいや!」とやってみたぶんだけ、はなしたぶんだけ世界が変わる。
と思って、こういうブログも書いてるんだけど。
だから、なんにせよ、やってみるのっていいことだっ!
顔も、体も、声も、喋り方も、目線も、脳みそも。
気に入らないところあげていったらそりゃさいっぱいあるよ。
ひとから「並以下」とレッテルを面と向かって言われたこともあったなぁ。
だけど、それ以上にいっぱいのひとが褒めて楽しんでくれる、笑ってくれる。
それでいいんじゃーないかと。
わざわざ「自分を嫌いなひと」を見つめ続ける理由はないんじゃないかなって、今はそういう風に思っています。
そいえばキングコングの西野さんもそういうこと書かれていたね。
この記事だったかな。
で、本がこれ。まだ軽くしか読めてないからこれからまたちゃんと読むのだ。
いつだってなんだって最初の一歩と、あとは地道な毎日のじみ~な一歩が苦手だけど、でもそれがあるから嬉しいこともいっぱい体験できる。
どっちもあるからいいよね。
もっともっと人生たのしんでみようと思う、とりあえず明日のテストのりきる!
けど、もう今日はやりたくないので寝よう、朝がんばる。