パニックでも、フラッシュバックがひどくても、解離があっても、過食でも、拒食でも、自傷で体が大変なことになってても
それは理由になんかならない
というのは、ネガティブな意味ではなく、ポジティブな意味でもなく、ただ0の位置として、そう思ってる
自分で自分に言っている
パニックのなかにいるとき、苦しく、終わりなんかないようがして、終わればぐったりとして、なんで生きているんだろうと、呆けつつ考える
パニックが起きる前は、いっぱいいっぱいで、呼吸が浅く、全部に対してどうしたらいいかわからないって思う
でもその「どうしたらいいかわからない」をほどいていけば、小さい失敗や迷い事わからないことの積み重ねで、それはだれかに聞いたり、だれかにゆだねたり、だれかを頼ったりすることで解決することも多い
パニックも解離も摂食も自傷も治らなくてそれでいい
治ったら「ふつう」になれるわけじゃない
治ったら「健康」になれるわけじゃない
治ったら「幸せ」になれるわけじゃない
治っても人生は続いてく
そこにはさみしさもあり、つらさもある
もちろん喜びも
精神障害もPTSDもあって当たり前だ、そんなの甘えだ、という大人の気持ちもわかる
その「甘えだ」と言い放つことそのものも愛だということもよくわかる
でも、それを伝えたいわけじゃない
ゼロだといったのは、ポジティブでもネガティブでもないと言い切れるのは、自分がそう生きていたいと思い、できるだけそう生きているからだ
どんな精神障害も、もちろん発達障害も、ネガティブなものじゃない
それがあるから人生を思うようにいきれない、不幸だ、というのは違う
もちろんそう思う時期があるのはいい
でもずっとその中にいるのは、本人が一番わかっていることだけれども、そこにずっといるのはつらい、苦しく、まっくらな出口のないトンネルのなかにぽつんといるような、そんな孤独感と生きていくこととイコールだと思う
すべては選択できる
選んでそこにいるのなら、それはそれで必要な経験になるだろうから、そこにいればいい
かといって、ポジティブな意味づけも違う
障害が個性だ
そんな消費のされかたはおかしいと思う
人はひと、自分は自分、みんなちがってみんないい
その言葉は思考なしに発されてはいけない言葉だと思う
ゼロなのだ、意味なんかない
障害にも、つらい経験にも、意味なんかない
その「意味なんかない」こそが重大な意味で、それだけなんだきっと
じゃないとやりきれない
その「意味のなさ」はだれかを助ける
だれかを支える
その支えた誰かはあなたを愛する
それがあなたを支え、あなたを助ける
それは共依存ではない、コミュニティだ
どんな精神病も精神障害も、他の障害も、全部、全部、意味なんてない
それはゼロだ
ゼロのはずだ
どんな形であれ、幸せに生きるかどうかはその本人にしか決められない
私は、幸せに生きると決めただけだ
そしてそれが人に「大丈夫だ」といえる気持ちの源泉になってる
どんな働き方もできる
どんな風にも生きられる
誰もあなたを見捨てない
誰もあなたを邪魔だと思っていない
勝手にひとりにならないで
自分が、もう一度そこに戻ろうとしたときに、まっくらななかに戻ろうとしたときに、思い出すたくさんの大好きな人たち
そのひとたちからもらった愛がなければ、今の自分は今ここにいない
どんな働き方もできる
どんな生き方もできる
コミュニティをつくるパワーは自分のなかにある
生きていける
大丈夫なのだ
半分まだ言い聞かせるように、でもどこかに確信をもってそれを言える今の自分がいる
今でもぐらぐらだ
すぐ戻りそうになる
パニックの後なんてなおさらだ
何が原因でパニックが起きてるかも理解していても、その「ちょっとずつ」を解決できない自分の怠惰をせめても仕方ない
それでもその怠惰とも向き合いながら
ちょっとずつちょっとずつあの真っ暗なトンネルから出始めている自分をいとおしく思ってる
それでいい
それでいい
ゆっくりでいい
生きたいように生きることができるはずだ
それは「ふつう」に生きることなんかじゃない
それは「健康」に生きることなんかじゃない
それは、自分自身を生きることだ
自分にしか見られないものを自分の座標で見ることだ
自分自身を生きること
それは、自分だけが幸せであればいいという傲慢さではない
そんなんじゃない
自分らしく生きること
それは誰かに迷惑をかけるためにすることじゃない
パニックになってもいい
フラッシュバックにおびえたっていい
過食してもいい
絶食してもいい
ODして倒れたっていいし
自分の体を傷つけたっていい
でももう、そこには戻りたくない
ただそれだけ
戻ってもいい
でも、今の自分はそうではない方法で自分の人生を積み上げたい
そうではなく、ひとつひとつの選択で、ひとつひとつの行動で、ひとつひとつの会話で、そうやって生きたい
今も失敗ばかりで、ふとしたときに戻ってしまうけれど、それでも
それでも、やっぱり、それらの障害とよばれるような自分の特徴は何の意味も持たない、ポジティブなものでもネガティブなものでもない、ただ自分らしさをつくっている一要因だと思って生きていきたい
生きている
だからやっぱり
どんな風に働いて生きていきたいのか
どんな風な仕事をしたいのか
どこに住みたいのか
だれと住みたいのか
何を食べたいのか
何を飲みたいのか
どうやって移動したいのか
ひとつひとつに答えを見つけていかないといけない
そう生きることをあきらめてしまうのは簡単だけれど、今はまだ、それにトライしたいと思う自分がいるのだから、それを、一度や二度の失敗であきらめちゃだめだ
あきらめたくない
どんなにいっぱい失敗したとしても、続きがある
半年後にはきっと今の失敗どれも笑ってる
だから大丈夫
絶対大丈夫だから
やっぱり、動き続けるしかない
「大丈夫」と人に伝える度に、自分がそれを証明してやると、そう思う気持ちが増えていく
会いに来てくれたお客さんたちのおかげで強くなっていく
やっぱり、そうやって生きていきたい
今の自分が好きだ
失敗ばかりだけど、でも、好きだ
そんな今の自分が好きだと言ってくれるひとが好きだ
立ち止まってもきっと大丈夫