媚びを売るのと、好きのまま好きを伝えるのは全然違う(と思っている)
自分のなかでしかわからない違いなんだろうなぁーと思うけど、でも違う
褒められてうれしいときに「うれしい!」って伝えるのと、あんまりうれしくないけど「うれしいです」っていうのは全然違う
口から出る言葉と思ってることが一致していないと、ちょびっと具合が悪くなる
その積み重ねで、ガツンと具合が悪くなる
お仕事もそうで、お仕事をもらうときに媚びを売るのは違うようだ、ということに気づいたのも去年だった
「話をするときは対等に」
「すがりつくのは違うんだよ」
そう教えてくれた尊敬する仕事人の先輩の言葉がきっかけだった
大学1年生だった2013年から大学4年になった2016年というのは、たくさんのチャンスをいただいた期間だった
でもそのチャンスのほとんどは、私の中にある「ほめられたい」「認められたい」「愛されたい」という、そもそも自分は足りていない存在であるという思い込みから動き出した結果としていただいたチャンスだった
それらのチャンスはいろいろな経験をくれた
その経験のおかげで今、そもそも自分は足りているんだという気持ちから動く大切さをしみじみと感じている
それは心屋仁之助さんが教えてくれたことでもある
ぢんさんはたくさんのことを教えてくれた
そのひとつが「どうせ愛されてるし」である
失敗しても
うまくいかなくても
泥まみれになっても
動けなくても
具合が悪くなっても
ふられちゃっても
どうせ愛されてる
その「どうせ愛されてるし」は毎日何百回とつぶやくことで自分にインストールした考え方だけど、これはちゃんと心理学的にも裏付けができることだなとよく思う
要するに、赤ちゃんのとき、ちっちゃかったときにつくれなかった「安全基地」を自分でトントントンと工事して作っていく作業だったのだ
「どうせ愛されてるし」
それがあたりまえに信じられるようになった今でも、悲しいことは起きるし、悔しいことも起きるし、時々大失敗もやらかす
でも、それでもどうせ愛されてる
それは空気と一緒
で、この「どうせ愛されてる」、つまり自分はもともと満ち足りている存在であるという確信があると媚びなくていい
このお仕事がもらえなくなってもいいから雑にやっちゃお😊
という話ではない
すがりつかなくてすむのだ
のだのだ
のだ!
どうせ愛されてるし、は魔法の言葉
好きを好きのまま伝えられる幸せ
ラッピングをすることもあるけれどね!
(応援してるよって言葉にしたりとかね)
人生のほとんどは「働く」ということなのだから、働くの色も好きな色であってほしい
そうあることはきっと選べる
きっと選べる
きっと、思うように生きられる
もう媚びなくていい
もう顔色をうかがわなくていい
それを時々忘れちゃうけど、前よりはずっとまし
自分への前提、たしかめてみると、すっきりすることもあるよねっていう話でした
ふふふ
@BBコーヒー
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